昭和49年の電報

 この写真を見て、ああ懐かしいと言う人は、それなりの年齢の方ですね。3公社5現業なんて言葉がありましたが、若い方にとっては、なんぞや?といった感じではないでしょうか。。

 昔、本州との連絡は電話料金が高いので、通信手段として電報を多用していました。商品がいくらで売れたか、何をどれだけ送ってほしいなど、短い言葉でお互いが理解できるようになっています。文字数で料金計算されましたからね。

 電電公社のマーク、文字は細長いテープのようなものに刻印されて、それを電報の台紙に張り付けてあります。もちろん漢字ではなく、カタカナと数字のみ。

 とても現在の結婚式やお葬式に届く電報とは違います。私は現在これだけ通信手段が変化したのに、『電報』というものが今も残ていること自体不思議に感じます。きっと、冠婚葬祭のしきたりをなかなか変えることができないのでしょうね。

昭和49年の電報」への2件のフィードバック

  1. 山川

    幼いころ電話が家になかったときに夜中に祖父の訃報の電報が来ました。
    それ以来、電報の存在自体が怖いものに思えてなりませんでした。
    今でも夜中の電話とかあまり気持ちのいいものではないですが。

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    1. 北のお魚大使

      そうですね。
      遠くに住んでいると、そういった気持は強くなるのでしょうね。
      近くだと、救急車のサイレンが気になりますよ。

      返信

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