今年も菜の花満開の東山墓地

毎年紹介をしていますが、岩内町の東山墓地の今は菜の花が満開になって、鮮やかな黄色が広がっています。

この開花情報をくれた役場のN氏も言ってましたが、今年は例年よりもさらに色鮮やかになったように感じると。私の勝手な推測ですが、お墓が建っていないスペースに人があまり立ち入らないので、開花勢力が伸びているのではないかと。

第一中学校に通っていた頃は、このお墓の真ん中を通る道が私の通学路。その頃はこんなに菜の花は咲いていませんでした。

岩内町の方はだれしも知っている東山墓地ですが、崖の上にあってそこから眺める海は、とてもいい景色。墓地のお散歩をお勧めと言っても、戸惑うかもしれませんが、たまには行ってみては?

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今年も菜の花満開の東山墓地」への4件のフィードバック

  1. かず

    うちのお墓も東山墓地ですがこの季節は足を運んだことがなくて菜の花がこんなに咲いているのを見るのは初めてですね。

    というか子供の頃はそういうのに目を向けなかったからかもしれません。
    凄くいい風景になっていますが足を踏み入れる人が少なくなったからだとすると少しさびしいですね。

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    1. 北のお魚大使 投稿作成者

      かずさん、おはようございます。
      小学、中学生は、このお墓を通学路にしてはいけないようです。
      それだけではないですが、やはり住んでいる人が少なくなっていれば、お墓参りに行く人も少なくなって足を踏み入れる人も少なくなるというのは、致し方ない現実です。

      子供のころ、当たり前の風景が大人になって目につくようになったこと。いろいろありますが、特に都会に住んだことがある人ならば、田舎の自然がどんなに素晴らしかったことだろうと思うのではないでしょうか。私もその代表的な一人です。

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  2. uroshi utoka

    司馬遼太郎の代表作『菜の花の沖』は、日露交流に尽くした高田屋嘉兵衛を主人公にした物語です。東山墓地の菜の花満開の写真を見てのこじつけになりますが、名古屋に居たときに関わっていた日露友好の団体の雑誌に寄せた文を貼付します。文中で岩内に触れているからです。

    愛知の会創立15周年に寄せて
    -世界史への眼差しの中でロシアとの縁を考える-

    加藤史朗

    北海道に移住し一年が過ぎた。転居通知に対して「日本の中でロシアを生きるということですね」と書いて下さった方がいる。なるほどロシアの情報は名古屋よりも格段に多い。新聞でもロシア関連の記事が絶えない。私が住む岩内町自体、江戸時代から樺太との縁が深く、戦後は樺太などからの引揚者の多くがこの町に住んだ。納谷幸喜少年(後の横綱大鵬)もその一人である。さらに前町長時代には、ウラジオストクに近い港町スラヴャンカと姉妹都市協定を結び、水産業の分野で提携が試みられた。しかし現在、交流は凍結状態である。北海道全体でもロシアへの経済制裁、ロシアによる流し網漁禁止などで日露関係はひどく沈滞している。
    愛知の会はどうか。15年にわたる活動は地味ではあるが、着実に成果を上げてきたのではなかろうか。シベリア抑留者の墓参が交流の原点にあったことが肝心だと思う。慰霊という魂の問題を核として事業を始めたのだから、歴史の負の遺産とも無縁ではいられない。負の遺産の中には、度重なる日露・日ソ戦争の舞台が両国そのものよりむしろ朝鮮半島や満州であったことも含まれている。
    領土問題を例にあげるまでもなく、二国間の枠組みだけで歴史の課題に向き合うと、ナショナリズムの陥穽に陥りやすい。この意味で愛知の会が、墓参とともに若者の交流に力を注いできた意義は大きい。歴史の負の遺産を希望の礎に転ずるには、世界史への眼差しとともに柔軟な発想や思考が必要である。愛知県立大学の学生が中心となって作った「おろしゃ会」の活動は、若者たちによる率直で伸びやかな日露交流が可能であることを示してきた。彼らは、歴史に学びながらも歴史の呪縛に絡め取られはしない。こうした活動でピオネールカの役割を果たしたのが、愛知県立大学に留学したマリーナ・ロマエヴァさんだ。彼女が先駆けとなって、いま日露の若者たちの縁の繋がりが着実な広がりを見せている。

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    1. 北のお魚大使 投稿作成者

      uroshi utokaさん、貴重な文面のご紹介いただきまして、ありがとうございます。また、このような文面を読ませていただくと、私のこのブログでの文章が稚拙であるようでお恥ずかしい限りです。

      昨年来、ロシアに関する質問がいくつかありましたが、ロシアに関してお仕事の種としていたことで納得ができました。

      深くは内容にコメントできませんが、今思うことはこのようなuroshi utokaさんの今までの知識と経験を生かすには、岩内町はどんなことをすべきなのか、ということです。近いうちにその舞台ができればと思います。

      貴重な寄稿、ありがとうございました。

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