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北のお魚大使 について

北海道の岩内町で生まれ育ち、大学、社会人の10年間を東京で生活。現在は家業の水産加工業を継いで3代目。 魚を食べることの大切さ、美味しさを知ってもらいたい。2009年に北のお魚大使の受験に合格。称号を頂きました。 岩内町のことももっと知ってもらいたい。そんなことから、このブログを始めました。季節の変化と岩内町をいろいろな視点から情報発信しています。

岩内方言集が自費出版で

 タイトルをお読みになって、私が自費出版したと勘違いしないでください。私は学生時代から国語の点数が悪く、ましてや歴史的な背景がある古文や言葉の変化などは、全くダメでした。

 出版したのは、幼少から高校まで岩内で育ち、岩内高校で12年間国語の教諭として教えられていた、見野久幸さん。写真は北海道新聞後志版(2013年10月30日付)に掲載されていたものです。この「岩内方言集」の記事は、2日後にも別の角度から紹介されるという異例の取り扱い。それほどの内容だと思います。

 私も新聞に出たその日、岩内町の小林書店に行きましたが、すでに売り切れ。2日後にまた入荷しますと言われました。購入してびっくりしたのが、その内容の濃さです。B5版で383ページにも及びます。読んでいくと、当たり前のように使っている言葉から、今は使わないよというものまで詳細に記されています。

 見野先生が岩内弁に興味を持ったのは、同じ北海道でも岩内はちょっと違うぞと思ったからではないでしょうか。実際、今の子供たちはほとんど使いませんが、「アヤ」という言葉は岩内では「バカ」を意味します。でも、すぐ隣の共和町や神恵内村の友人は使いませんでした。などなど、岩内出身の皆様、ぜひ岩内に帰省の際は、小林書店で「岩内方言集」をお求めください。税込900円です。

 ついでに、お正月用の数の子、釣たらこ等も一八でお求めを・・・・

シューズを忘れてDNS

 マラソン大会当日、何かを忘れてしまい焦った、なんて経験はありませんか?先週の日曜日、私は石狩の厚田で行われる濃昼(ごきびる)トレラン30kmのレースに出る予定でしたが、トレランシューズを忘れてレースに出ることができませんでした。マラソン用語でDNS(DidNotStart)。

 数日前らかの天気予報では、当日風雨が強くなるとのこと。衣類をどうするか、終わった後の温泉セット、コンタクトレンズなどの用意は万全。・・・と思っていました。

 当日朝は、4時起床の4時45分出発と予定してました。車に荷物を積み込んでいると、新聞配達が来て、その新聞を玄関でさっと目を通しました。その時、最後にトレランシューズを積むのを忘れてしまったのです。

 気がついたのは、小樽を過ぎた頃。家に電話すると、やはり玄関に残されていました。戻ってまた出かけると、スタートから1時間遅れ。レースは中間点3時間で関門閉鎖。間に合う。と思ったのですが、念のため大会事務局に問い合わせをしたところ、キッズレースのスタートがあり、混乱の恐れがあるということで、遅延スタートは認められないとのこと。

 問い合わせの時点で、すべて事務局の指示に従いますと前置きをつけました。一人の我がままを聞いて、全体の安全面などに影響を与えてはいけないと思ったからです。「残念ながら・・・・認められません」と丁寧に説明を受けたので、了解しました。

 しかし、おバカさんですよね。他のものならまだしも、体の一部といっていいシューズを忘れるなんて。運転の時に使用していたシューズはスニーカーですが、山道を走るには危険すぎます。まぁ、忘れ物をするのは、走る前から負けているという事でしょう。

 でもね、初めて走ることができるコース、違う大会で知り合った人とも再会できるのが、楽しみだったのになぁ~。記録は伸びても、おつむの中は退化しているようです。

 前日レース前ということで、たくさん食べたエネルギーを消費しなくてはなりません。ということで、忘れたシューズを履いて岩内岳山頂まで駆けてきました。写真は10月27日のものです。

解体作業大忙し

 最近の岩内町は、解体工事をしているところが多いと感じます。古い家を解体して更地にしています。写真はご近所の解体風景です。

 先日、大工さんとお話をしたら、解体作業が忙しく、1年間待ってもらって、ようやく作業が出来たような順番待ちのようです。一般の家などが老朽化したり、住人が亡くなられて住む人がいなくなったりと、理由はいろいろのようです。

 以前、岩内町のブロック住宅が取り壊され、新しい町営アパートが建設されていることはお話しました。岩内高校の西に位置する、西宮園団地も先日、すべて取り壊され、更地になりました。

 岩内は昔人口密度日本一になったこともあるように、建物が密集していました。しかし、最近はこのように更地がどんどん増えています。まぁ、後ろ向きに考えれば、それだけ住む人がいなくなるということです。しかし、前向きに考えれば、使える土地がどんどん増えていますよ、と。いかがですか?都会の皆さん。土地をお探しなら、一声おかけください。

銀行の古い封筒

 久しぶりに弊社の「昔懐かしシリーズ」。今日は銀行の古い封筒が出てきました。岩内信用金庫とたくぎんさんのものです。

 二つの銀行も今は名前がなくなってしまいましたね。岩内信用金庫は、北海信金と1997年10月に合併。北海道拓殖銀行(たくぎん)は、1998年11月に北洋銀行に事業譲渡。それらから、15年も過ぎてしまったのかという感じです。 

 北海道で生まれ育った者として、まさか拓銀さんがなくなるなんて、とだれしもが思っていましたね。岩内信用金庫も高卒で入った人は、まさか町外に転勤になる会社になるなんてと思ったことでしょう。

 あらあら、封筒のお話はどこに?子供のころはたくぎんさんのプラスチックの貯金箱などが記憶にあります。この封筒のように、私たちの世代では違和感なく見ますが、私たちの子供世代にとっては、何これ?と思ってしまうのでしょうね。

 

岩内第二中学校で深層水のお話

 先週、岩内第二中学校へ行き、海洋深層水をどのように使っているかをお話してきました。写真はその時のことを書いた、北海道新聞後志版の記事(平成25年10月26日版)です。

 中学1年生の総合学習で、テーマが「岩内海洋深層水をアピールする方法を考えよう」というものです。地域について理解をするとともに、創造的な考え方を身につけるということですが、高校生レベルでは?思いました。でも、生徒さん達の可能性をやる前から否定してはいけませんよね。

 新聞の写真は、私が生徒さん達に何を作る時に深層水を使っているか、などをお話している場面です。正直、やらされているという感じの子もいましたが、興味を持たせるのは私たちの使命。いつものごとく、終わってから私の話し方が下手だったなぁ~という反省。

 今年来られた熱心なY先生が中心になって行動しているようです。いいですね。こういった試みはどんどんやるべきと私は考えていますので、出来る限り応援したいと思います。発表会がとても楽しみです。

第44回黒松内町内一周駅伝大会の報告

 昨年2012年、ニセコ東急の友人に誘われて初めて参加した黒松内町の駅伝大会。今年2013年も先週(10月20日)参加してきました。合計7区からなる42.195km。

 カテゴリーは、一般の部、シニア(40歳以上)の部、レディースの部に分かれます。私はもちろんシニアの部で、3区6.4kmを担当することになりました。今年は2区が真正面の強い向かい風。私の3区は追い風でしたので、少し楽をさせてもらいました。

 一般の部が21チーム、シニアが5チーム、レディースが2チームの参加。南は函館、北は札幌からが一番遠い場所からの参加。そして、なんと岩内からも1チーム出ていました。残念ながら、私は知らない方たちでチーム編成されていたようです。

 開会式に集まる面々を見ると、大学生が多いなという感じ。肌寒いのに、ランシャツ、ランパン姿で、いかにも大学駅伝という雰囲気。そんな中に、50代のおじさんがいてもいいの?なんて思ってしまいます。

 3区から4区の中継点で、1位から20分経過で繰り上げスタートに。今年はトップチームがかなりのスピードだったので、多くのチームが本来の赤のタスキではなく、黄色のタスキになってしまいました。(写真は繰上げスタート時)

 私の走った3区は途中農家のおばちゃんや有名なお豆腐屋さん夫婦が応援してくれました。でも、出会ったのは合計5人だったかな?他の区間では、一人も「人間」と会わなかったところもあったようです。

 参加チームが少なくなっているのは、ちょっと都会から遠いからでしょうか?歴史ある駅伝ですから、多くのチームが参加してほしいですね。私は前後の間隔がかなり開いていたので、抜きも抜かれもされませんでした。参加チームがたくさんあって、駅伝特有の競り合う場面があるほうが、やはり面白いですよね。

 一般2チーム、レディース1チームの合計4チームで参加した、「ニセコひらふどんがめチーム」。夜は恒例のアルペンホテルで温泉と反省会と称した打上。昨年この大会で知り合った人が、他のマラソン大会で声をかけてくれたり、人のつながりが広がりました。チームのみなさん、ありがとうございました。

 

電気保安協会の情報誌に紹介されました

 北海道電気保安協会が発行する情報誌「でんき保安」という冊子の2013年初冬号(No.430)に弊社の節電対策の事例が紹介されました。

 平成24年度北国の省エネ・新エネ大賞“節電部門”で大賞に選ばれたことは、こちらでも紹介いたしました。その省エネがどのように行われたのかを会社の紹介とともに、電気保安協会の担当者のコメント、私のコメントなどを載せて紹介しています。

 何度も省エネについて書いていますが、やってみるとそれまで何て無駄なことをしていたんだろうと恥ずかしくなってしまうというのが本音です。

 ちょっとした考え方を変えたり、従業員と相談したり、業者さんと相談したり、やってみると固定観念が省エネを邪魔していたなんてことがあります。同業者のみなさん、アドバイスいたしますよ。でも、コンサル料、ちょっとちょうだいね~。

10月の刀掛岩

 写真は平成25年10月20日の岩内町雷電の刀掛岩です。岩肌にある樹木の葉が紅葉真っ盛りです。何度かこのブログで、刀掛岩について書いていますが、昔はたくさんの人が観光で・・・としか書けないのが残念です。

 岩内町の温泉と言えば、円山地区が開発される前は、雷電地区の温泉だけでした。40年ほど前は、各種会合などは、町内から12kmほど離れたこの場所がよく使われていたものです。

 残念ながら今は、ホテル雷電、観光加藤などの温泉宿はすべて営業をやめてしまいました。ここから山奥に入った朝日温泉は、ニセコ連山の端に位置し、秘湯として人気スポットでした。しかし、ここもたび重なる自然災害により、現在は営業しておりません。

 口ぐちに昔はよかった、という声が聞こえそうですが、これもまた時代の流れ。人々が温泉宿に求める価値観も変わってしまったのですから、しょうがないですね。私が言えるのは、この刀掛岩の姿は、40年前と変わっていませんよと。四季の変化の刀掛岩、たまには通り過ぎずに、そんな時代の流れを感じながら、ご覧ください。

いわない あきんど(あ!金 土)市 がありました

 商店街のシャッター通り化が地方ではどんどん進んでいる中、どうにかして活性化しようとがんばっている所もあります。岩内町では、商工会議所が中心となって、軽トラ市を行ったりしていますが、また違った試みがありました。

 その名は『あんきど市』。あ!金 土 という語呂合わせですね。金曜日と土曜日に、言うなれば、参加商店による特定商品の売り出しと思っていただければいいようです。商店だけでなく、飲食店ではメニューの一部を値引したりします。

 平成25年9月に第一回目が開催されました。先週末10月18日、19日は第2回目。11月は15日(金)、16日(土)と予定がすでに決まっています。前日の新聞折り込みチラシが入ります。参加しているお店は、写真のように、紺色の大きな “のれん” が掲げてあります。 

 単なる安売りではなく、ちょっと工夫した商品などがあれば、ちょっと行ってみようかな?なんて思ったりしますよね。写真は岩内の老舗喫茶店「さぼ~る」さん。チョコパフェがいつもよりお安くなっているのを見て、私の妻は「パフェを食べる口実になる」と言っておりました。なるほど。

 ということで、来月開催の時は、岩内の方だけでなく、都会の方も是非岩内に来て、暖かく着こんで商店街を歩いてみてください。

第36回岩内町民ロードレースの報告

 平成25年10月14日体育の日に岩内運動公園で、毎年恒例の町民ロードレースが行われました。小学生から一般まで1km~3.3kmの種目があり、学年別、年齢別の表彰があります。

 私は昨年まで41歳から50歳までの部でしたが、今年は51歳から60歳までの部に昇格(?)。当然のごとく、私以外はそのカテゴリーでは参加ぜす。表彰台もさみしく一人で登りました。

 中学生以上社会人は3.3kmを同時に走ります。残念ながら、高校生は一人も参加せず。中学生も、部活で強制的に参加させられている子がほとんどでした。一方、社会人男子は8人。部活の先生自ら参加される方もいて、表彰で先生の名前が呼ばれると、学生たちから「オォー!」と歓声が上ってました。

 レースは、私と中学3年生1人と最後までもつれる状態。ラスト300mで私が前に出ましたが、ラスト50mであっさり追い越されました。レース後に彼に聞くと、「速いペースだったので、着いてくことにしました」と。最後のラストスパートは、このおじさんはできませんので、冷静な判断でした。「それで正解だね」とほめてあげました。

 参加資格は、町内在住か、町内で働いている人。最近、町内でも走っている方をよく見かけるようになりましたので、一般の方ももう少し参加されてもいいのではと思います。学生さんと一緒に走れるだけでも、私は幸せに感じますよ。まして、「○○の父さん!、がんばれー!」なんて声援をもらったら、照れますけど、嬉しいものです。

 記録は11分51秒。4年前の初参加が12分20秒でして、毎年ちょっとずつ速くなっています。この年齢でも、まだ速くなれるのですから、走り始めた皆さんなら、もっと速くなりますよ。来年はぜひご参加を。

 写真は小学生のスタート直後。這いつくばって写真を撮っているのが、北海道新聞の記者です。後日、この角度の写真が後志版に掲載されていました。