岩内町から銭湯がなくなりました

 道新後志版に出ていましたが、岩内町内で最後の銭湯だった小松湯が、平成24年3月31日をもって営業を終了しました。昔、岩内に住んでいた方にご説明するならば、荒井大学堂さんの向かい、ショッピングプラザ・ヤダさんのとなりと言えばいいでしょうか。

 新聞によると、小松湯ができたのは、1939年(昭和14年)。50年~60年台は、岩内町には10軒以上の銭湯が存在していたようです。よくここまで頑張って商売を続けてくれたなぁという感じです。

 銭湯の減少は、家庭にお風呂ができたこと、後継者不足、人口減少、燃料費の高騰。いろいろな理由があってのことでしょうが、時代の流れというものでしょうね。

 ただ、岩内の場合は、円山の温泉を銭湯代わりにしている方も結構いるんです。車で毎日温泉に入りに行くのですから、ちょっと贅沢に感じるかもしれませんが、それまた岩内らしいのかもしれません。

岩内町から銭湯がなくなりました」への10件のフィードバック

  1. 立石尚子

    こんばんは。(今は夜です)小松湯の娘です。今何となく「小松湯」検索をしていたら専務のブログを見つけました。ありがとうございます。

    また、岩内岳で会いましょう(笑)
    先週、羊蹄山に行ってきました。

    おやすみなさい。

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    1. 北のお魚大使

      昔、看板娘さん、お久しぶりです。
      見つけるのが遅いよ~。
      でも、ありがとうございます。

      今度は違う山に出没すると思いますよ。
      今は山ガールで楽しんでいるのですね。いいですねぇ~

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  2. Uroshi Utoka

    時々、岩内に来ています。誠寿司でランチを食べ、サボールでコーヒーを飲むのが定番です。この冬からは、円山地区の日帰り温泉に行くようになりました。昔は東宮園の銭湯に行った事がありました。昨日は一ハ興業さんの半のしでビールを飲み、塩数の子を土産に明日、東京に帰ります。来年は一か八か岩内再興の大勝負をお願いします。

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    1. 北のお魚大使

      Uroshi Utokaさん、コメントありがとうございます。
      時々岩内に来られるのは、実家が岩内なのでしょうか?
      今は東京在住のようですが、天候が悪いようですので、お気をつけてお帰りください。
      半のしは、今弊社では製造しなくなってしまいました。T商店のものだと思いますよ。
      一か八かですか? 社名はそうでも、博打はしない会社でして・・・
      でも、勝負するときはきっとありますね。

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  3. Uroshi Utoka

    すみません。仰るとおり、半のしはご近所の高橋商店のものでした。グリーンパークで買いました。塩数の子は貴社のものです。ラッキーで買いました。明日、東京に持ち帰り、子供たちと新年に頂きます。貴社の発展が岩内町の元気の源になりますように。

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    1. 北のお魚大使

      Uroshi Utokaさん、塩数の子のお買い上げ、ありがとうございます。
      お正月のお料理に弊社がお役に立てることができて、うれしいです。
      最後のお言葉、ちょっと照れますが、とっても光栄です。ありがとうございます。
      よいお年をお迎えください。

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  4. uroshi utoka

    あけましておめでとうございます!

    東京は春の陽気、穏やかで静かです。本年が穏やかな中にも奔馬の躍動を感じさせる年となりますように祈念いたします。専務さんの年頭のご挨拶、ブログでよみました。岩内のルネサンスが始まる気配を感じ、感銘を受けました。

    特特の塩数の子、お見事です。今までで最高の味でした。こういうご商売が伝統として継続されていることに頼もしさを覚えております。

    専務さんと貴社のご発展を祈っております。

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    1. 北のお魚大使

      uroshi utokaさん、あけましておめでとうございます。
      無事に東京に戻られましたね。
      岩内のルネサンスですか?ちょっと褒め殺し状態ですねぇ~
      でも、せっかくのお正月ですから、ありがたくお受けいたします。
      数の子、気にいっていただきまして、とっても嬉しいです。

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  5. uroshi utoka

    たった今、武田亀夫著『満洲物語』を再読したところです。昔、尾崎商店の裏にあった宮園湯という銭湯のご主人の自分史です。夫人の武田みさ子さん(歌人で、『運上屋川物語』など数々の著書で有名)ご主人の波乱万丈の生涯を口述筆記されたものです。廃業間近の宮園湯に私も行ったことがあります。宮園市場も併設されていて小ぶりのお風呂屋さんでした。廃業は1989(平成元)年2月。間もなくご夫妻は次女の嫁ぎ先、埼玉県本庄市に移られ余生を過ごされました。

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    1. 北のお魚大使 投稿作成者

      uroshi utokaさん、久しぶりの投稿ありがとうございます。ブログの更新が止まってしまってからでも、こうして過去の文章に反応される方がいらっしゃることを嬉しく感じます。
      宮園の現在の町営アパートは昔平屋のブロック住宅が立ち並んでいました。友人たちもそこに住まいしていたので、銭湯も宮園湯を利用していたと思います。
      武田ご夫妻、文化人だったのですね。存じ上げませんでした。

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