おかあさんも一緒に滑ろうよ

 ニセコいわない国際スキー場。かつては、リフトが6本も動いていた時代もありましたが、今はペアリフト1本のみとなってしまいました。一時は存続を危ぶまれましたが、地元の有志とボランティアに支えられ、地元の子供たちがスキーに親しむ場所が残っています。

 また、使わなくなったコースを、キャットツアーという形で深雪を求めるスキーヤー、スノーボーダーに的を絞ったことでスキー場の運営を両極端なユーザーに使い分けてもらっています。

 写真はスキー場のロッジです。見ると、何人かお母さんがスキーの格好をしていないで座っています。子供を連れてきて帰りまで待っててくれているのでしょう。でもね、おかぁさんも滑って楽しんでいると、子供はもっと楽しくなるように思います。

 滑らないお母さんたちの井戸端会議の場でもあるかもしれません。余計なお世話だと言われるかもしれませんが、お母さん、座っているだけじゃなくて、体を動かしましょう! 

おかあさんも一緒に滑ろうよ」への4件のフィードバック

  1. 山川貴子

    スキー場のロッジの雰囲気変わっていませんね。滑ったあとでここで食べたソフトクリームが美味しかったこと覚えています。
    そういえばお父さんとすべる子供はいたけど、お母さんと一緒というのはあまりみませんでしたね。岩内での同級生の女子でもスキー上級者が何人かいたのでその方たちは子供と一緒に滑っているのでしょうか?

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    1. 北のお魚大使

      どうでしょう?
      その時の女性たちは、今岩内にいるかどうかわかりませんものね。
      高校の息子のスキー授業の最後の日、ABCDに分けられたDのクラスの女の子たちが、「人生最後のスキーだ」と言っていたそうです。
      雪国に住んでいて、スキーが嫌いな子もたくさんいるのが、残念です。

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  2. kozy

    初めてコメントいたします。
    私は生まれてから18年間岩内で育ち、現在東京在住の40代の者です。
    故郷岩内の数少ない(?)タイムリーな情報を得られるブログとして、会社のお昼休みなどにちょくちょく拝見させていただいておりました。
    『変わってないなぁ~』岩内スキー場のロッジの写真を見て、小学生だった頃にオープンしたスキー場へ、親にシーズン券を買ってもらい冬休みはほぼ毎日滑りに行っていた頃を懐かしく思い出しました。
    当時、朝一番のバスに乗っていくと馴染みの友達が来ていて誰となく一緒に滑っていたように思います。ロッジ(昔はヒュッテと言っていたような・・・)で食べた中華丼やカレー、ラーメン・・・個人的にはメロンソーダ(笑)が素朴なおいしさで今でも思い出します。
    そんな岩内スキー場が、スキーブームが去った後も地元の方々ががんばって存続させていたことは知っていましたが、この写真を見て改めてものすごく嬉しい気持ちになりました。
    また岩内スキー場に行ってみたいですが、冬はどうしても交通事情が悪く中々帰省できません。
    近頃再びスキーに人気が戻ってきているとも聞きます。いつかまた岩内スキー場に足を運びたいなと思います。

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    1. 北のお魚大使

      kozyさん、はじめまして。
      私の隠れファンがまた出てきていただきましたね。
      私としては、この瞬間が一番うれしいです。

      岩内を離れたたくさんの方が、岩内の情報を求めて私のブログにたどり着いたのは、今まで書き込みをしてくださった方々のコメントを見てもよくわかります。
      そういった人達のためにも少しでもいいから、岩内のことを書き続けなければという使命感も最近は出てきました。

      幼いころのスキーの思い出は尽きないですね。
      私はこのスキー場ができたときは、岩内を離れる年齢でした。
      昨年、このブログでも何度かシリーズで書きましたが、観音山のロープ塔世代なんです。

      ロッジの中や、スキー場での友人たちと一緒に滑った思い出はとても大切なものです。
      そんな思いを少しでも次の世代に伝えてあげたらいいですね。
      スキーをしている子供たちの輝く目はほんとにすばらしいんです。

      kozyさんも帰省の際には、いろいろと岩内のいいところの再発見を、このブログを利用して残していただけたらと思います。
      kozyさんが岩内スキー場で思い出いっぱいのスキーができる日が来るのを、私も楽しみにしています。
      うれしいお便り、ありがとうございました。

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