岩内の銭湯 竹乃湯

   9月17日の道新後志版に岩内の銭湯がまたひとつなくなることが記事になっていました。かつて、10軒も岩内には銭湯があったそうです。竹乃湯さんがなくなって、残るのは中央保育所の裏の「みどり湯」とYADA商店となりの「小松湯」の2軒だけです。

 岩内は昭和29年の大火の後、町営ブロックと称したアパートが立ち並びました。現在、それらの建物も老朽化となり、新しい町営アパートが建設されるに伴い、人も移動しています。旧アパートは、お風呂がないために、そちらに住む方は銭湯を利用していた人が多いようです。新築のアパートにはもちろんお風呂があるので、銭湯に通うお客さんも少なくなったというのが現状です。

 私の記憶では、一八の近くに「浜の湯」というのがありましたね。ここは私がまだ小学生の頃に廃業しました。ボイラーが壊れたのを契機に辞めてしまったと記憶しています。一八に勤めていた女工さんたちもここをよく利用していました。

 今は車社会。自宅にお風呂がなくても車は持っている人もいるので、そんな方たちは、円山地区の温泉を銭湯代わりに使っている人もいます。

 銭湯と映画館。時代とともに少なくなるのは、何もこれらだけではありません。悲しいことに、岩内の水産加工屋さんの数も急減しているのです。 

オータムフェストのにしん味噌

 19日、日曜日は私はニセコでしたので、妻に札幌に行ってもらいました。先日お知らせした大通り公園のオータムフェスト5丁目にあるラーメン天国で「やん衆にしん味噌ラーメン」を食べにです。

 5軒が並んでいるラーメン屋さん。700円のチケットをまず購入し、お気に入りのところにチケットでラーメンと交換するというもの。それぞれのお店は、地方色を出すためにいろいろと工夫を凝らし、開発したもののようです。

 一八の大豆を使わないで、ニシンを発酵させて作ったお味噌、「にしんのおかげ」を使ってスープを作った、麺屋龍神のやん衆にしん味噌ラーメン。人の入りはまずまずだったようです。タイトルがにしん味噌ラーメンとなると、味噌ラーメンの上にニシンがのっているのか?と思う人がほとんどのようです。おそばでもニシンそばというと、ニシンの甘露煮が上にのっていますよね。あの感じですね。その誤解を解くにはもう少しニシン味噌、にしんのおかげというものがどんなものか知られなければいけませんね。私の努力がもっと必要です。

 お店の窓の隣には、ここがポイントと称し、コメントがあります。「・・・・ベーススープにも動物性原料を使わず昆布を中心とした魚介系でダシを取る・・・・」と。昔、貫田シェフが最初に一八のニシン味噌を食べたとき、「イノシンサン系のうまみが凄い!これにアミノ酸系の旨みを加えると、もっと素晴らしくなります」と。すなわち、昆布だしを入れると旨さ倍増ということでしょう。自然の旨さで勝負できるのが、ニシン味噌です。

 これを読んだ料理人の皆さま、「にしんのおかげ」で化学調味料無添加のお料理を是非お試しください。

ニセコマラソンフェスティバル

 9月19日日曜日、ニセコ町でニセコマラソンフェスティバルがありました。私はハーフの部に出場。毎年、後志地区の道議会議員、新党大地の鈴木宗雄氏が来るのですが、今年はニュースの通りいろいろとあるので、鈴木氏は来ませんでした。鈴木氏は、毎年10kの部に出て、元気に走っていました。

 さて、今回もお醤油屋さんの水野さんが札幌から来てハーフの部に出場。会うたびに、どこそこが痛い、どこそこを怪我したと言っています。2週間後の札幌マラソンを目標に、今回は練習のつもりで走ると宣言。行けるところまで走って、後はリタイヤしますと言っていました。でも、この大会は、回収車というのを見たことがありません。やはり途中から歩いたようですが、回収車でなく、後片付けの車だったらありますと言われ、最後まで歩きとおしたとのこと。この方、やはり、Mの3乗くらい付けてもいい方です。

 前日の同窓会に出席して、このレースに望んだ埼玉の友人もいます。夜中まで飲んで、途中で何度もゲロしそうになって走る強者。なんでそこまでしてみなさん、走るのでしょうかね。私も同じ様な者ですが・・・

 この大会のコースはアップダウンが激しく、特に最後のニセコ大橋の登りは、極限状態を試される名物コースです。天候は曇りでしたが、天気が良ければ羊蹄山がばっちり。ニセコ連峰も秋の気配を感じさせる彩りで迎えてくれます。マラソンだけでなく、秋の収穫祭とも合わせて、「ニセコマラソンフェスティバル」と称し、ジャガイモ馬場競争など、いろんなイベントで一日を楽しませてくれます。

 私の結果は40歳以上男子の部で8位。1時間29分25秒で、目標の30分切りはできました。まぁ、同窓会の飲み会後でこれだけ走れれば、いいとしましょう。札幌マラソンに出場される方、2週間後に笑顔でゴールできるよう、最後の調整をしっかりと。

岩内高校卒業30年同窓会

 9月18日、岩内高原ホテルで、同窓会がありました。岩内高校(がんこう)卒業後、30年の区切りで、当時の8クラス全体でのクラス会です。これは毎年恒例になっているようで、私たちの上の年代も同じようにしているとのこと。

 ただ、その学年によっては、なかなか人集めに難儀して、開催できなかった年もあるようです。今回、8クラスで320人いた中で、127人と3人の先生が参加しました。これはなかなか凄い数字だと思います。幹事を引き受けてくれた、地元の栗林君を始め、役場の同級生が中心になって、頑張ってくれました。

 会ってみると、最初はほとんどわからない人たちばかり。名札を胸に付け、話していくと、不思議と昔のことをいろいろ思い出しました。行く前は、皆、年をとったそれぞれの姿形になっていると思いましたが、意外や意外、皆まだまだ形も崩れずに頑張っている姿。それなりの立場で、皆苦労して頑張っているのでしょう。

 よきひと時を楽しませてもらいました。商売で、前ばかりを向いて走っていたときに、このふと立ち止まって人生を振り返るひと時。たまにはいいものですね。お会いできたみなさん、先生、ありがとうございました。

 うれしいことに、先生へのお土産は、一八の商品の詰め合わせを使っていただきました。重ねて幹事さん、ありがとうございました。

小学3年生からのお礼の手紙

 先日、工場見学した岩内東小学校3年生からお礼の手紙が届きました。毎年見学が終わった後に、見せてもらった場所の人にお礼のお手紙を教室で書くようです。社会見学は、地元の職場を見たり地元のことを学んだり、そしてお礼の手紙を書くことも勉強の一つなのですね。

 子供たちのコメントを読んでいると、選別機に数の子をのせる体験をしたのが印象に残ったようです。また、「にしん伝心」を真空パックにして、ラベルと賞味期限のシールを張って、できたものをお土産に持たせたら、家の人と一緒に食べて美味しかったとも書いてありました。皆、何度も消しゴムで消して書きなおしたあとがあり、一生懸命に書いてくれたと想像できます。

 大企業とは違い、見学コースがあるわけではなし、準備にいろいろと気を使ったり、衛生面で問題が起きないようにするなど大変です。ただ、子供にはできるだけ職場というところを見せるべきだと私は思います。

 魚の内臓を取り出すところ等は、確かに臭くて汚く見えるかもしれませんが、どんな仕事でもそのような部分はあるでしょう。ネクタイをして綺麗な格好をしても、やっている内容はいろんな意味で汚かったりもします。一番美しいのは、一生懸命に働いている姿だと思います。この子たちが大人になって、岩内の水産加工はすごいぞと胸を張って言ってもらえるよう、これからも精進しなければなりません。
 

さっぽろオータムフェスト2010

 札幌でのイベント紹介です。大通り公園では、四季を通していろいろなイベントが開催されています。9月17日から10月3日にかけて行われる、さっぽろオータムフェスト2010。このイベントは、『札幌の秋に旨いものが集まる。旨いものは人を幸せにする』というテーマで、北海道の食をアピールするようです。

 5丁目のHOKKAIDOラーメン祭り会場では、期間中5軒のラーメン屋さんが新開発したラーメンを披露するようです。期間を3つに分け、前半、中盤、後半と5軒が入れ替わります。よって、15軒のラーメン屋さんの味を楽しむことができるようです。

 17日から21日までの前半に、「麺屋 龍神」さんが、「やん衆にしん味噌ラーメン」というものを出します。これは、実は私が作った「にしんのおかげ」を上手に使い、スープをつくってくれたようです。どれくらいの配合かなどは全くわかりませんが、こうしてひとつの商品の土台となったことをとてもうれしく思います。  

 この期間に札幌にいらっしゃる方、ぜひ、「やん衆にしん味噌ラーメン」を食べてスープに写る私の顔を想像してみてください。

さっぽろオータムフェスト2010ホームページより

昔、熊に出会ったお話

 10年ほど前、野生の熊と出会いました。そのときのお話を。

 とまりマラソンは当時10kmのコースを、原発の裏山を登らせて、登りきったところにあるゲートから原発敷地内に入り、一気に急降下するというコースでした。普段はそのゲートは閉鎖されているので、練習でコースを使えるのは、そのゲートまでです。

 大会の1ヶ月ほど前、その急な山道の上りを練習するために、一人でえっちらこっちらと夕方6時過ぎに走って登っていました。コースは、車が一台通れるほどの幅。途中にスイカ畑があります。右に左にとジクザグに上ってふとカーブを曲がりきったとき、なんともイヤな感じ。10mほど前の笹薮から上半身を出して立っている顔がやたらでかい黒い姿。 クマだ!
 
 最初見たとき、あっ、動物園のクマと一緒だ。と思いました。次の瞬間、金縛り。そのクマは私を見ると、両手を上に上げ、鼻を上にしてグワォー!と叫びました。ヤバイ!と思っても体は動かず。しかし、上に振り上げた両腕は笹薮の中におろし、私の視界から消えました。
 
 ほっとして、また走る続きを・・と2歩進んで考えました。折り返してここに戻ってきたとき襲われるかも知れない。そう思ってすぐに回れ右!一目散に下りました。ジグザクになっている道、左から突然出てきたらどうしようと左耳をダンボ状態にして、おそ松君の漫画のように、足が見えなくなるくらい速い回転で降りてきました。

 近くにある北電体育館に駆け込み、「クマ、クマが出ました!」と管理人さんに言うと、「そうか、どうする?」と。「警察に電話したほうがいいのでは?」「じゃ電話しな」。
 
 警察に電話して、そのことを話すと、「あなたのお名前は?、あなたの住所は?あなたの電話番号は?・・・・」20分ほどして来た警察官にまたしても、「あなたのお名前は?、あなたの住所は?あなたの電話番号は?・・・・」。話をして、本部に連絡。「どうやら本当のようです」と。失礼しちゃう。でも、タヌキをクマと見間違える誤報が多いとのこと。
 
 後日、鉄砲を持ったおじさんと警察官の3人で現場検証。笹の倒れ方、小枝の折れ方などから、私の証言は正しいとのこと。体長2mくらいのクマであることが判明しました。
 
 もしも、私に向かってきたら私はどうなっていたのでしょう?夕方は小動物が積極的に動き回る時間帯。クマも同じなので、ここはもう走らないで下さいと念を押されました。今はどうなっているのかと先日、行ってみると、写真のように入り口に進入禁止のロープが張られていました。治安の問題から原発の裏側からの侵入阻止も理由にあると思います。でも、ちゃんとそのクマが守ってくれているサ。

 

豪雨の爪跡、流木被害

 北海道新聞22年9月10日朝刊、社会面に、この夏の集中豪雨で大量に流木が海岸に漂着していることを書いています。

 秋サケの漁が始まって、定置網にかかり被害が出ないかを心配しています。役場の職員も漁師さんたちといっしょになってその流木の処理をしていました。岩内郡漁協はすでに20トンを回収しているとのことですが、岩内だけでなく、近隣の寿都町や、島牧村でも同じような状態で、その回収費用もそれぞれの自治体で出しているとのことです。

 今後、災害による同様のケースが増えると思います。断水になった大雨のとき、道路も通行止めになりました。そのとき、女工さんを送るために、どのようなルートを使うか迷い、開発局に電話をすると、道道の事は土木現業所に聞くようにと。土木現業所に国道のことを聞くと、開発局に聞くようにと。こんな災害時に縦割り行政をやっているのですから、二重行政と批判がでてもしょうがないのでしょう。

 今回の流木のについても、国有林を管理する後志森林管理署は「自然災害の流木処理まで行うのは難しい」と。道有林を管理する後志総合振興局林務課も「道有林からは流出していない」と。お互い処理への協力は検討していないと後日の道新後志版に書いてありました。

 自分の範疇でなければ、検討すらしない。情報すら共有しないこの体質は、今後の自然災害に前向きな姿勢とはいえないと思います。もっと大きな視野で判断し、決断できる人はいないのでしょうか?役人さん一人ひとりはとても優秀な方たちなのに。

秋サケ漁始まる

 13日、市場は定置網漁の秋サケが水揚げされていました。船体にびっしり詰まった秋サケがクレーンで何度も引き上げられています。タンクに上げられたサケは、市場の中でオス、メス、キズ、等に手作業で仕分けされていきます。

 岩内で今漁獲されるのは、標準和名「サケ」。呼び名は「シロサケ」「秋サケ」の他、「アキアジ」と呼ばれます。このアキアジという呼び名はいいですね。秋の味。そんなビールもありましたっけ。成熟して、体に縦の筋ができてくると(婚姻色)、ブナと呼ばれ、それぞれその度合いから、Aブナ、Bブナ、Cブナと分けられ価格に差が出ます。さらに、産卵後の状態はホッチャレと呼ばれ、食べても美味しくありません。

 と、サケの好きな方なら当たり前のことを書いてしまいましたが、このように呼び名だけでもたくさんの種類があるのは、魚食文化の典型と言えるでしょう。アイヌ語でサケの総称をカムイチップ(神の魚)と呼びます。

 今日は豊漁でしたが、これがどこまで続くかは、わかりません。放流したサケの稚魚が戻ってくる確率は5%もあるかどうかです。長旅をして立派な姿になったサケを、みなさんはどんな料理で召し上がりますか?

とまりマラソン2010

 平成6年から始まったこの大会も、今回を持って終了するとのこと。私が今こうしてマラソン大会に出場するようになったのも、この大会があったからです。

 平成9年に初めて出たのは10k。コースは原子力発電所の裏山を登り、その日だけ特別にゲートを開け、原発敷地内を走らせてくれるというもの。その高低差と言ったら半端ではありません。海岸に降りると、強い海風に苦しむという難コースでした。アメリカ9.11テロの後、敷地内は走れず、10kコースはなくなり、今の5kと3kのみとなりました。

 その間、3人の子供たちとそれぞれ親子の部で参加したこともありました。組合の青年部中心に大人数で参加し、終わった後に昼間っから焼肉しながら酔っぱらったこともありました。

 原発3号機の建設中の時は、工事関係者などが自分の意志ではなく参加している人たちの方が多く、走るのは一年でこの日だけという人も珍しくありません。でも、一年に一度でも職場の仲間とお揃いのTシャツで苦しんで走っても、終わった後には楽しそうな顔になっているのが、この大会のいいところでもあります。

 さて今年、私は5kに出場。北海道マラソンの後は軽い燃え尽き症候群になって練習不足でした。やっぱり5kは短いので苦しかったです。スタートダッシュは、砂地なので砂煙が立つほどの勢い。私はこのスタートダッシュが苦手。折り返しでゼッケンから年代別入賞するにはあと4人抜かなくてはならないとわかり、じわじわと。私が速くなったのではなく、前にいた人がペースダウンしてくれました。予定通り4人を抜き、年代別6位入賞。19分17秒。自己ベストは遠のきました。順位は速い人が出なかったので、そのおこぼれをいただきました。副賞の御煎餅、ありがとうございました。

 大会がなくなるのは寂しいですが、大会そのものの役割は充分果たしたと思います。なくなる大会もあれば、生まれる大会もあります。原発という特殊な場所で都会の大会とは一味違った大会運営をしてくれた関係者のみなさん、素敵な思い出をありがとうございました。