北海道のお赤飯

 この赤飯の写真を見て、不思議に思わない方は、北海道の方ですね。山梨の地方の方もでしょうか?小樽出身の私の母(81)が作ったお赤飯のおすそわけです。

 本州ではお赤飯に小豆を入れるのが普通でしょうが、北海道では、『甘納豆』を入れるのが、お赤飯の常識です。さらに、ゴマ塩を振りかける。この甘さに東京出身の私の妻は最初はびっくりしていました。岩内生まれの子供たちは甘納豆が入っていないと、赤飯でないと思っています。

 このように、ひとつの食べ物でも地方によっていろいろと違いがあるのは面白いですね。いろんなバイヤーさんが地方の食文化を全国区にして売り上げを伸ばす等の努力も最近は多いのですが、土地の個性のある食文化はあまり手を付けてほしくないと個人的には感じます。だから、旅行に行って食べるのが楽しい。

 以前お世話になった貫田シェフはこんなことを言っています。『その地域には水や土の個性があって、独特の「風土の味」のことを「風味」と言うのだと、私は考えています。』今回のお赤飯にはちょっと強引なこじつけになりましたが、地方の食文化を大切にしたいですね。

たら丸のマンホール

 皆さんの街では、マンホールはどんな絵柄になっているでしょう?岩内町のマンホールは、こんなたら丸のキャラクターが描かれています。このマンホールは、我が家の前にあるもので、町道だからでしょうか。

 調べてはいませんが、道道と国道では違ったような。道道は赤レンガ庁舎の絵柄だった記憶があります。まぁ、いつも気にせず踏みつけているわけですから、改めて見ると、こんな絵だったのかと。

 数年前に工事が始まった下水道のマンホール。一八がある大浜地区は岩内の中でも一番早く下水道が通り、水洗化になりました。そのとき、すぐに水洗化の工事をしましたが、二つの工場のトイレ工事で総額500万もかかりました。でも、食品を作る会社ですから、これはしょうがないことだと思います。

 水洗化になった今でも、田舎の香水の匂いはたまに漂ってきます。「田舎の香水」ってわかります?都会の方は??ですね。汲み取りの匂いです。7月のお祭前と8月のお盆の前は特に漂います。でも、数年後にはこんな匂いもあったなと思う日が来ることでしょう。

線路跡地の利用

 岩内町に国鉄が走っていたことは、以前もお話しましたが、その線路跡地はどうなっているのか? 24年前に岩内線の廃止に伴い、駅と線路は取り壊しと撤去。一八の裏の踏切もなくなりました。

 その線路跡地は、岩内町の土地となったのですが、つい数年前までは高規格道路になるとかいう計画。しかし、この計画もとん挫してしまいました。今の政治状況をみると、当然の結果かもしれません。

 さて、その線路跡は、ご近所のみなさんが我が土地とばかりに綺麗なお花畑にしたり、野菜菜園になっています。どこまで開拓するかは、その人次第。私が見る限り、開拓したもの勝ちですね。自分の縄張りを丁寧に柵をしたり、草の刈り方で区切りをつけたりと。

 写真はお隣のご主人が作ったお庭です。今はジャガイモ、ナス、長ネギなどが収穫を待っている状態。このまたお隣のご主人は作業用の簡易倉庫までこしらえる器用な方。自分の土地でもないのになどとは言わず、開拓したもの勝ちの精神、北海道らしくていいじゃないですか。

軽トラ市~予告

 軽トラックの荷台に農産物、海産物等を載せて商店街の一部の道で販売するというイベントがあります。その名も「軽トラ市」。岩内町では、7月24日土曜日、午前9時から午後1時まで開催されます。同時に味覚天国という歩行者天国の場所で飲食ができるイベントも開催されます。

 この軽トラ市の元祖は、岩手県の雫石町です。その商工会が企画したもののようです。岩内の商工会議所は、それに目をつけ同じ様にやってみようと昨年からはじまりました。ところが、昨年の2回とも雨の心配でやきもきしたものです。今年はどうなることでしょう?

 写真は、昨年の様子ですが、何やっているかわかりませんね。ごめんなさい。どんなものが売っているか見たければ、24日にいらしてください。お徳品もありますが、売れ切れてしまうかも知れないので、早めにおいで下さい。

 軽トラ市のいいところは、出店者が軽トラに売り物を荷台に積んで、そのまま売って、終ったらすぐにそのまま帰ることが出来るというもの。勢いのある出店者は、1時間で完売というところもあります。一八の軽トラに「ブログを見てきた」と “こっそり” 言ってもらえると、何かいいことあるかもよ。

深川で見たニシン釜飯

 19日、深川方面に所用で出かけました。深川の道の駅には、2階にレストランがあって、そこで食事をしようと思ったのですが、たくさんの人が待っていたので、残念ながら退散してきました。そこには、ニシン釜飯なるメニューが今月限定商品として出していました。これはぜひ食べて勉強させてほしいと思ったのですが、残念です。

  でも、深川は陸地なのになぜニシン? お米の代表的産地ですので、「釜飯」のほうがメインだったのだと言うことでしょう。ニシンは日本海側だけのものという狭い発想は時代遅れなのかもしれません。ニシン=北海道ととらえれば、本州からや中国からのお客様にもいろんな提案ができるということですね。

 事実、ニシンは日本海だけでなく、オホーツク、室蘭沖、厚岸沖でも昔は漁獲されていました。そして、今も多くはないですが、獲れることがあります。

 遠くの人たちがニシンを使って頑張っているのですから、我々毎日ニシンを使って加工、商売をしている者はもっといろいろと知恵を絞って頑張らないといけませんね。 いつもと違うところをみると、やはり刺激になります。

蝦夷梅雨?

 北海道には梅雨がない。確かに本州のような梅雨はないのですが、「蝦夷梅雨(えぞつゆ)」と呼ばれるものはあります。5月から6月にかけての2週間程度。本州のそれとは異なり、ぐづついた天気が天気が続くのは一緒ですが、気温は高くなりません。本州の方に言わせれば、そんなの梅雨じゃねーと言われそうです。

 ただ、この数年、7月上旬はどうもすっきりしない天気が続き、湿度も高くなっているのが気になります。昔はこんなではなかったような記憶があるのですが、気のせいでしょうか。

 魚も南で獲れるものが、北で獲れるようになってきていることは有名です。となると、気候も北上していると言われてもおかしくないのでしょうか。数年後には、北海道でお茶が栽培できるようになるかもね。

 18日、工場に行こうと思って外に出たら土砂降りの雨。しばらくすると、止みました。なんとまぁ、運の悪い。せっかくの連休です。すっきりした天気が待ち遠しいです。

 

マラソンの匂い

 マラソンの匂い!? なんのこっちゃ?と思いますでしょ。どんな匂いを想像しますか? マラソン大会の匂いと練習のときの匂いと二つに分けましょう。

 マラソン大会では、真っ先に「サロンパス」「サロメチール」などの消炎剤の匂いですね。スタート前の準備段階で、入念に塗り込んだり、スプレーをしている人がたくさん。おかげで、体育館等の室内が受付会場の場合は、その匂い一色ですね。職業柄あの匂いは、腰痛の匂いと感じます。その他、やっぱりオヤジの汗。わが身もオヤジ臭を出していることでしょうから、何もコメントできませぬ。

 練習の時の匂いは、春先は沈丁花などの花の匂い。初夏になると、若葉の匂い。ちょっと臭くて、牧場のたい肥の匂い。このへんはたぶん都会の人との違いが出ることでしょうね。この時期、金曜日の夜に走ると、家の前で焼き肉パーティーをしている家が多いです。先日も20名以上集まって、楽しそうにジュージューしている音と美味しそうな匂いが漂ってきました。

 私が普段練習で走っている時に、かぐ匂いで一番好きなのは、よそのお家の台所から漏れる魚の煮付けの匂い。肉じゃがの匂いかな。あの匂いをかぐと、小さな幸せを見つけた感じがします。手をかけて作るその家庭ならではの味です。家に帰ってきて、そんな料理を食べることができる幸せがそこにあるような。ごく当たり前なことのように思えますが、私たちが作る食材は、消費者が手をかけなくても食べられるものへと変化しています。 

 今度はどんな美味しい匂いに出会えるかな? 夏は糠ニシンを焼いて食べるのがお勧めです。一八の糠ニシンは大きくて、脂がのっていて、焼くと香ばしい匂いが・・・

FMで「にしん伝心」アピール

 札幌のFMアップルというミニFMの番組で、「にしん伝心」のアピールトークがあるようです。7月19日月曜日海の日祝日。「MONDAY香る」という番組名で、19時~20時。岩内の持ち時間は、19時から19時30分とのことです。

 岩内町役場の中村さん、玉田さん、飯久保さんの3名が生出演するそうです。内容は、7月24日軽トラ市、8月1日深層水祭り、8月7・8日の怒涛祭りのアピールと、深層水を使った商品のPRをするというものらしいです。

 

 写真は会社にあったラジオです。FM局のイメージ写真を探していましたが、いいものがなく、代わりに40年ほど前のラジオを引っ張り出したというわけです。AMバンドしかついてなくて、イメージじゃないのはわかっていますが、ご勘弁を。チャンネルの部分の汚れがなんともいい雰囲気。衛生的に・・・というお言葉が出てきそうですが、ほとんどの従業員がこの存在を知りません。音は?そのうち試してみます。

 脱線しましたが、岩内では聞こえない札幌のFM番組。豊平区周辺の皆さま、ぜひお聞きになってみてください。岩内町の個性的な3名のトーク。生放送ですから、危ない発言があるかもですね。特に女性の玉田さんの発言はつまらないか、面白いか、どっちかのギャンブルです。聞いた方、是非どうだったか、教えてください。

保津船

 岩内町の郷土館前に展示され始めた「保津船」。昭和20年代まで岩内沖で使われていたニシン漁の作業船。長さ11m。

 今回、私自身も「ほっつせん」という言葉を始めて知りました。新聞は7月6日に道新後志版で掲載された記事です。郷土館の「岩内港完成100年~海と港の恵み」という企画展にあわせて改修されたものです。

 記事によると、この保津船の修復をしたのが、梶浦造船の梶浦さん(86才)。道内で木造船を建造できる技術者は10人程度とのこと。岩内にいたんですね。最近の船はFRPと呼ばれる強化プラスチック製のものが多く、木造船で作るのはないようです。梶浦さんが元気で仕事をしていたから復元ができた「保津船」。

 私も梶浦さんには、数の子の処理に使うFRPのタンクの修理を何度もやってもらいました。本当は木の仕事のほうが良かったのでしょうね。こんな職人がいる岩内。まだまだ捨てたものではありませんぞ。

岩内大浜海水浴場

 岩内町に海水浴場があったのを知っている人は、若い方ではないでしょう。場所は今の工業団地。夏場の1か月程度、泳ぐことができました。冷たい物を売る店もありましたし、着替えをするところもありました。水しか出ませんが、シャワーもありました。ジリジリとした暑い日に、学校から帰ってきてすぐに海水パンツを履いて、自転車で海水浴場に行って遊んだ記憶は、とても楽しいものでした。

 一八の先代、紀伊右衛門はその海水浴場に人の流れをつくるためか、写真のような看板を海水浴場の近くに立てました。この看板は、一八の倉庫の隅にあったものです。看板は他に3つもあります。どのような意図でこの看板を設置したのか、わかりません。

 時代の流れとはいえ、フェリー埠頭と工業団地造成のために海水浴場は埋め立てられ、夏の景色が変わってしまいました。今砂浜はコンクリートで固められ、フェリー埠頭もフェリー会社の撤退により、何もない釣り場と化し、工業団地は売れずに残る空き地の方が多い状態。

 誰もこんな状態を予想していなかったでしょう。ただひとつ言えるのは、自然に人工の手を入れてしまえば、もう元には戻らないということ。倉庫に入ってこの看板を見るたびに、海水浴場の歓声と今のむなしい状態が交錯します。