にしんのおかげでマカロニサラダ

 大豆を使わず、ニシンを発酵させて作った味噌状の発酵調味料『にしんのおかげ』。今日は私の奥様が腕によりをかけずに作ったマカロニサラダをご紹介。

 マカロニと春菊。冷蔵庫に残っていたものを使います。特別に買ってくる必要はございません。『にしんのおかげ』とマヨネーズを混ぜます。このマヨネーズと『にしんのおかげ』の配合比率はお好みです。ゆでたマカロニと春菊にそのマヨネーズにしんのおかげをまぜるだけで出来上がり。超簡単レシピ。これなら「奥様もう一品」に採用されるでしょうか。

 要するに、普通のマヨネーズだけの味でなく、『にしんのおかげ』を混ぜることによって、いつもと違う味を演出できます。さらにイノシンサン系のうまみがあるので、味にうるさい旦那様にちよっとパンチを食らわせることができます。欲を言えば、アミノ酸系すなわち、昆布系のうまみが加われば、ダブルパンチがトリプルパーンチ!になります。

 やってみて、パンチが利かなかったら・・・・ごめんなさい。でも大丈夫です。きっと奥様の勝ち。

マナマコ

 ナマコという言葉を聞くと、何を想像しますか? 岩内の人たちにとって、ナマコというのは、「生助子(なますけこ)」のことを言い、生のスケトウダラの子を意味します。すなわち、たらこの原料です。

 しかし、一般的には、「ナマコ」というと、グロテスクな風貌のとげとげのような突起物がある「ナマコ」のことを言います。正式和名は「マナマコ」。アカナマコ、アオナマコ、クロナマコの3つのタイプに区分され、北海道でよく見られるのは、アオナマコのようです。

 このナマコ、市場の取引価格は、10年ほど前に比べると、10倍の値段に跳ね上がりました。昔は、500円/キロ程度だったのに、今は5,000円/キロ以上、シーズンの最初は6,000円を超えるほどの値段がつきました。

 なぜ?中国経済の急成長のためです。中華料理素材として、北海道産はブランドとなっており、この後志地方のナマコは特に突起が大きいので商品価値が高くなるようです。写真は市場の職員さんが、表面にキズがないかをひとつずつ確認している様子です。これだけ価格が上がれば、やはり商品管理をしっかりしなくてはなりません。

 ナマコの酢の物などは昔はお安く食べることができたのに、もう気安く食べることはできなくなってしまうのかな~。中国経済恐るべし。

第5回札幌・豊平川市民マラソン

 11日札幌の豊平川河川敷でフルマラソンがありました。北海道マラソンを8月末に控え、この大会を夏場の暑さ対策として練習のつもりで参加する人が多いようです。もちろん私もその中の一人です。気温は、昨年ほど上がらなかったものの、24度。風がちょっとありましたが、河川敷ですから、それなりに。最後の5キロの向かい風で苦しんだ人は結構いると思います。

 大会そのものは今回で5回目。他の大会同様、毎年参加者が増加。主催はナイアガラというマラソンクラブの方たちが運営してくれて、小さい大会ながらも、手作り感があっていい感じです。特にゴール付近はいいですね。道外からもそれなりの参加者がいるようです。沿道の応援は少ないので、ちょっとモチベーションを保つのが大変です。

 ところが、今回はお醤油屋の水野さんがまるでパパラッチのごとく、ここにいたと思ったら、またいた!という状態の応援。瞬間移動でもしているのかい?と思えるほど頻繁に手を振ってくれるので、楽しむことができました。ありがたいですね。この水野さんのような応援をしている人は数名いらして、さすがに30kを超えたとき、「何度もありがとうございます」と言いました。見ず知らずの方です。

 「おとーさーん!!」と大きな声で応援していた子供たち、お母さんは双眼鏡を片手に、子供たちに指示しています。はるかかなたのお父さんに聞こえるようにほほえましい応援。幸せなお父さんですね。

 河川敷の両岸を札幌市内のほとんどを走ることになります。釣、テニス、野球、ゲートボール、ジョギング、サイクリングなどのスポーツをする人、クラリネットやフルートなどの吹奏楽を練習する人、バーベキューで缶ビールを飲んでいる若者たち。水遊びする幼児。都会のど真ん中にこんなところがあるなんて、札幌はいいところだよなと感じました。

 結果は3時間22分。北海道マラソンに向けて、課題も見つかりました。またこつこつトレーニングしましょ。

カントリーサイン

  市町村をイラストで表現した標識。北海道の全市町村の境界線、国道や道道に設置されています。岩内町にはいくつこの看板があるかご存知ですか?私が知る限り、4つだと思うのですが、違っていたらごめんなさい。その4つを全てどこにあるか言える方はすごい。

 実は、この岩内町のカントリーサインは2代目なのです。なぜ2代目になったかは、フェリー埠頭と関係があります。カントリーサインが広まったのは、たぶん1990年から。当時、岩内町には上越市と結ぶフェリーが就航していました。経済の悪化とともに、フェリー会社は岩内から撤退。雷電の刀掛岩をバックにフェリーの絵が描かれていたのが、初代の絵柄。フェリーがなくなり、実態に合わなくなったので、全国区の人気になったたら丸にとって変わったということでしょう。

 北海道をドライヴすると、地方の名前が読めないところがたくさんありますね。アイヌ語の当て字にしたような地名で、それを何て読むのかを調べながら旅行をするのも北海道観光の一つだと思います。また、このカントリーサインを楽しむことも一つではないでしょうか。道の駅のスタンプラリーのついでに、この標識を意識してお楽しみください。

 岩内にある4つ。わからなかったら、道の駅のお姉さんたちに聞いてください。そのとき、一八の商品を一つお買い求めになることもお忘れなく。 

岩内港完成100年

  先日、道新の記事に岩内郷土館で岩内港の100年の歴史についての講座があると出ていたので、出席してきました。このブログに書くネタになるかなと安易な気持ちで参加させてもらいました。聞くところによると、昨年も数回にわたり岩内の歴史についての講座があったようです。

 第一回目の内容は、坂井館長さんが講師。岩内港をつくるときに北海道からお金を補助してもらえず、町費ですべて作ったと歴史に残っているが、実は個人の寄付やらが多く、最終的には国の補助をもらったなどというお話。「金は天下の回りもの」やってしまえ!という気質は昔も今も変化ないようで。

 参加者はほとんど私よりも年配の方が多かったのですが、熱心に聞いておられました。いくつになっても向学心を持っていられるのは素晴らしいですね。私は家から出る前に奥さんに「寝るんでないよ」と釘を刺されました。確かに私は学生時代から授業中は良く寝ていました。

 ちょうど、7月7日から9月26日にかけて、『岩内港完成100年特別企画展』というものをやっており、それに合わせた講座だったようです。この講座は8月にかけてまだ数回にわたりあるので、岩内の歴史に興味のある方、なくても好奇心がある方は一度参加されてみるといいですね。素敵な女性、男性がおり、お菓子と飲み物、差し入れもありました。 また展示だけをご覧になってもとても面白いと思います。懐かしいものもいっぱい。

 お問い合わせ先 岩内郷土館  TEL: 0135-62-8020

御神輿が通り過ぎました

 岩内神社のお祭り。8日は学校も短縮授業で、給食なしで子供たちは帰ってきました。昨日の予告では3時40分に一八の前を通過の予定でした。ところが、4時すぎてようやく先頭の猿田彦命(通称:天狗)が現れました。今年の天狗はとても元気。足をどんとあげ勇ましい歩きでした。ところが、その後がなかなか来ない。赤坂奴が来たのはその後15分も過ぎてから。それから御神輿がやってきて、一八の前で選手交代。さらに最後尾のお米を集める人が来たのはまたまたしばらくしてから。

 毎年スケジュールどおりには行かないですが、赤坂奴の人たちも、御神輿の担ぎ手も一八の前ではあとわずかのところなので、一番疲労が出るところでしょう。お疲れ様でした。観客が年々少なくなっているのに、歩く距離は長年同じで、大変です。赤坂奴の皆さんは、ずっとこの日のために毎日練習を重ね、頑張っていたようです。

 今でこそ、岩内町は小さな街になってしまいましたが、ニシン、スケトウダラで繁栄極めた時期もありました。神社がこのように大きく残り、存在感があるのも、その歴史があるゆえでしょう。

岩内神社まつり

 「岩内神社例大祭」が7日夜から9日夜にかけて行われます。7日は夜宮、8日は本祭。9日は後祭りとも呼んでいます。都会の人には信じられないでしょうが、8日、9日は町内のほとんどの会社は休業となります。一八も例外ではなく、お休みです。

 7日は後半から大掃除。きれいさっぱりにしてお祭を迎えるということになります。おみこしが通る道路に雑草が生えていたりすると、草を刈る。アスファルトの穴があったら、修繕に来る。町内会では、神社例大祭と書かれたのぼりを立てたり、ちょうちんが並んだり。港に行けば、船が日の丸の旗をなびかせていたり。

 神社の鳥居の前後に並ぶ露天商もたくさん並んでいます。子供たちはお小遣いを握り締め、露店の道を何度も行ったり来たり。私も思い起こせば、わくわくして露店の道を歩きまわった記憶があります。ただ、その露店の数は、今の4倍はありました。岩内のこの祭りは露天商にとって大きな稼ぎの場所でもあったと思われます。

 中学生、高校生にとっては、このお祭前に告白する子が多く、念願のお付き合いのデートをこのお祭で歩くというのが一種の流行であったような。私ですか?モテない子には縁がありませんでしたね。だから、高校生になったら行かなくなったのかな。

 と、話が脱線。写真は7日に新聞の折込広告で入ったものの一部を載せさせてもらいました。8日、9日と御神輿が町内を歩きます。一八にも8日の15時40分頃来ます。ご近所の皆様、彼らの雄姿を見に来て下さい。

イモの花

 5月の天候不順から、6月は一転して日照時間が増えたようで、農作物の生育が遅れていたのが挽回されてきたとのお話です。

 写真は共和町の農家のジャガイモ畑。ここ数日、薄曇りの日が続き、青空がなかなか出ないのですが、このときは偶然にも北の空に青空が。ジャガイモ畑はうす紫色の花が満開。遠くの雲は夏の雲ですね。この風景を北海道らしいと感じるかどうかは、ご覧になられる方のイメージで違うと思います。

 ジャガイモ畑で有名なのは、美瑛町のパッチワークの丘などがありますが、私個人の好みとしては、羊蹄山麓の風景が好きですね。ニセコの風景と羊蹄山、ジャガイモ畑。そして夏の空。なんて相性がいいのでしょう。と思っているのは私だけ?

 でも、おいしさは風景だけでなく、そこで一生懸命に作っている人がいるからということを忘れないでください。秋の収穫までもうしばらくお待ちを。『らいでんすいか』を積んだトラックが通り過ぎて行きました。イモの前にスイカ、メロンだ。

ウニ

 『うに』の季節がやってきました。北海道で獲れるウニは、エゾバフンウニとキタムラサキウニの2種類が主です。岩内地方では、ちょうど夏の季節が漁獲期。資源保護のために、地方によってそれぞれ禁漁期があります。

 身の白と赤で区別され、一般的に出回っているのが、白のほうで、キタムラサキウニ。とげが長く、体色が深紫色。それに対して赤い身がエゾバフンウニ。馬糞のような形からこの名がついたのでしょうね。昔はこのエゾバフンウニのほうが多かったのですが、今ではめっきり少なくなってしまいました。その理由は「磯やけ」によるものだと思います。

 まだ漁が始まったばかりなので、セリにかかる数量は少ないですが、これからが楽しみですね。岩内のセリ場には、写真のように、ファミリーレストランのサラダバーのようなショーケースがあり、その中にウニの折が入っています。このケースの中には、海洋深層水が循環しており、それが冷気を運んでケースの中は低温になっています。なかなかいいシステムですね。

 エゾバフンウニは私たちの子供の頃は、『ガンゼ』と呼ぶ人が多かったです。くれぐれも、このウニを一般の人が海で取って食べるのは「密漁」となり、見つかると逮捕されます。見つからなければいいというものでもなく、密漁したものを買ったりしてもダメです。監視船や監視車両が昼夜巡回していますので、ちょっとくらいという邪な心は持たないでください。

 漁師さんたちが苦労して獲ってきたものを、浜の奥さんたちがひと殻ずつ割って取り出したウニを、ありがたく頂きましょう。冷凍ができないだけに、やはりウニは地元で食べるのが一番です。

ランニング練習時に見えるもの

 マラソンの話題は一週間に一度のペースで書きますので、興味のある方は日曜日か月曜日にのぞいてみてください。

 さて、4日の日曜日は片道14kの泊村方面への往復ランニング。いつも山の方を走っているので、たまには海を見ながら。写真はどの辺かわかりますか?泊中学校と商工会の間で、冬にここを通ると、ものすごい吹雪で車も揺れるほど。シケの時は、まるで海が生きているかのような高波としぶきが飛んできます。今日は寝静まったような穏やかさ。天気が良ければパックにニセコの山が見えて綺麗なのですが。

 気温は30度を超えなかったものの、湿度が高くランニングの条件としては良くない状態。でも、このムシ暑さの中を練習しておくと、北海道マラソンが楽になるんですよね。最近走り始めた人は、無理せず水分補給をしっかりしてください。

 今日は後半にペースを上げる予定が、まったくダメで失速状態。毎年この時期は疲れがたまっているので、あせらず調整しましょ。泊村の原子力発電所の裏を通る約1400mの長いトンネルの中は、天然のクーラーでした。でも、やはりトンネルは音が反響してうるさいです。普段交通量の多いところをあまり走らないので、車の音は苦手です。

 走りながら目に付いたのですが、最近の車のナンバーは、3ケタの車が多いですね。「・418」とか、「・915」とか。これって、たぶん所有者の誕生日とか、結婚記念日とかなのでしょうね。その車の種類から推測して、団塊の世代で、子供から手が離れ、ご夫婦でドライヴ・・・・・札幌からかな?岩内の道の駅には寄るかな?にしん伝心買ってくれるかな?  そんなことを考えながら走りました。