昭和30年代の岩内バスターミナル

 このブログにコメントをいただく “八王子の山崎さん” から、昭和30年代と思われる岩内バスターミナルの写真をいただきました。

 今年の初夏、故郷めぐりの途中、わざわざ弊社を訪ねてくださり、昔の写真をタブレットの中に整理されていたのを見せていただきました。この写真は、八王子の山崎さんのお父さんが撮られたものだそうです。

 このバスターミナルの様子は、私の記憶にもしっありますので、この写真は間違いなく昭和29年の大火後のものですね。ボンネットバス、黒の「ガマ口」を携えた車掌さん、行商と思われる大きな荷物を背負ったおばさん、などがその時代を象徴しています。

 手前のバスが、「島野」行き。奥は「神恵内」行きだそうです。このバスターミナルは、現在のたら丸館(いわない道の駅)にありました。私は中学・高校生のとき、スキーに行くときに倶知安行のバスをよく利用していました。ただし、そのころはもうボンネットバスはありませんでしたよ。

 八王子の山崎さん、写真のご提供、ありがとうございました。

昭和30年代の岩内バスターミナル」への7件のフィードバック

  1. もとiwanaibito

     懐かしいですね、私の小学校低学年の頃だと思います。
     小学校を卒業する頃にはボンネットバスは無くなっていました。
     新しい(今風のバス)のことを私達子供は鼻なしバスと呼んでいました。
     島野行きのバスに乗って雷電海岸へ海水浴に行ったことを思い出します。
     63歳の私には岩内駅前はこの光景のままです。
     
     八王子の山崎さん 貴重な風景ありがとうございます。
     

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  2. もとiwanaibito

    文の改行がおかしく見づらいので削除して下さい
    改めてコメントします。

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    1. 北のお魚大使

      もとiwanaibitoさん、コメントありがとうございます。
      編集しましたので、このままでいいでしょうか?

      鼻なしバスですか。初めて聞く言葉です。
      島野行きというのは、今の鳴神トンネルのあたりかと思いましたが、雷電までの事を言うのですか?
      島野村だった時は、雷電は島野村だったからなのでしょうね。
      なるほどと思いました。

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  3. 山崎 徹

    昔話や古写真で恐縮です。今、脊髄手術をして病院におり、寝たままなので「飢餓海峡」を再び読みました。小説では岩幌町になってますが、眼下に見た岩内大火、遊んだ泊村、岩内線、高校時代を過ごした函館市など、情景が目に浮かびます。戦後のどん底から成長期の時代に苦労知らずに生きてきた私は、親は勿論、当時の大人、青年層に心底敬意を感じますし、ご高齢の方々を敬わねばと思う次第です。
    真冬に向かう日々、お身体ご自愛下さい。

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    1. 北のお魚大使

      八王子の山崎さん、入院中にコメントありがとうございます。
      術後の経過はいかがでしょうか。コメントをいただけるくらいですから、順調な回復だと勝手に想像しております。
      戦後のどん底からの成長期、たしかに私たちはそんな時代に必死で生きてこられた方たちをもっと大切にしなければならないと思います。「言うは易し・・」、ですので反省しきりですが。
      退院しましたら、また元気なお姿を見せにいらしてください。
      写真の掲載は事後報告になってしまい、申し訳ありません。
      でも、みなさんこの写真は懐かしがりますよ。
      ありがとうございました。お大事に。

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  4. もとiwanaibito

    編集ありがとうございます。
    雷電の入口 橋の前が終点で敷島内と言うバス停だったとおもいます。   

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