カテゴリー別アーカイブ: 日常のこと

電信柱の付け替え

電柱がなにやら混雑していると思ったら、電柱の付け替え工事が行われています。古い電柱を抜くのではなく、新しい電柱をすぐ隣に設置してから電線を架けかえるようです。

工事が行われているのは、国道229号線の大浜。その道は一八興業水産から南に100mの近さに位置します。よく見ると、新しい電柱は古いものよりも背が高いのです。

私たちが子供の頃の電柱と言えば、木に黒いコールタールがべっとり塗られたものでした。今はまったく見なくなりましたね。電柱の背が高くなったのも、光ケーブルなどのいろいろな通信回線が多くなったからでしょうか?電柱だけ見ても、時代を感じます。

この田舎の広い空を電線だけが増えていくのは、景観的にもあまりいいものではありません。さりとて、地中化なんぞコスト増で費用対効果が悪すぎる。風が強くなれば、電線を切る風の音が物悲しさを増します。ちょっとどうでもいい事を電柱から考えてみました。

フリー雑誌JP01は西後志特集

 

北海道の道の駅などに置かれているフリー雑誌「JP01」。今回は西後志特集となっています。西後志ってどこさ?そもそも後志ってどこさ?と言う方はぜひご一読を。

この雑誌で取り上げられた人たちのSNSによってその情報はすでに流れていると思います。発刊が4月でした。連休前でいろいろと他の情報があって忘れられかけていると思いましたので、私の方から再度お知らせいたします。

年4回の季刊誌。私が最初にこの雑誌を読んだ時は「本当にこれで無料でいいの?」と言ってしまったほど、実際に体験した内容などの充実ぶりに驚きました。ただ、3年間経過したということで、まずは一区切りで休刊とのことです。道の駅からなくなる前にGO!

西後志、普段はあまり言いませんね。岩宇(がんう)の4町村を中心とした場所と解釈しますが、今ここで頑張っている若者達を中心に取材しています。官主導で動いていた時代は何をやってもまとまらず。今積極的に動いている若者たちはそんなことを感じさせないエネルギーがあります。

 

道路の清掃車

雪がなくなって、ひと冬を越えた地肌や道路が現れると、半年間の汚れが結構目につきます。アスファルトの道路は歩道との境目の泥が固まってしまっていますが、それらを除去する作業が町内で行われています。

先週、弊社前の道路にも清掃車がやってきて、道路にブラシをかける大きな音がしていました。ブラシがついている清掃車はよく見ると、かなり機能的。後輪はたぶん小回りが利くように幅がほとんどくっついた状態。

さらに写真を見て気がついたのですが、左ハンドルなんです。そうか、道路わきを身を乗り出して見ながら運転したので、その間隔を見やすくするためでしょう。なるほどね。

この清掃車が通った後に、散水車が水をまいて浮いた土を流していました。きれいにしていただいてありがとうございました。この次は白線の引き直しかな?

深層水だより創刊

岩内町地場産業サポートセンターが岩内の海洋深層水をPRする目的で、「深層水だより」というものを作りました。

きれいで、冷たくて、ミネラル豊富な海洋深層水。取水事業が行われてもうかれこれ10年以上経過しています。せっかくの施設があって深層水が使えるのだから、もっとPRしようと職員さん達が作りました。

その一番下に、またまた私の写真。第一回目のユーザー紹介に一八。なぜなら、利用している歴史が一番古いということと、利用数量がダントツで多いということ。さらに、深層水を使った商品がたくさんあるということ。

これだけ書くと、なんて一八は岩内町に貢献しているのだろうと思ってしまいます。私が言っちゃいけませんね。この「深層水だより」、町の主要な場所に置いてあるそうです。私を見つけてください。

昭和の新聞折込広告

先日、弊社の事務所2階を整理していたら、またまた古いものが出てきました。昔の個人商店の合同の販売セールの広告です。その名はレインボーチェーン。

右側には加盟店の屋号と店舗名が記載されています。一八とあるのは、昨年取り壊しをした弊社会長の妹夫婦のお店。一中中村商店は、旧第2中学校近くにあった、弊社会長の姉のお店です。

コンビニの台頭でこうした個人商店はことごとくなくなりました。そんな中、今も存在しているお店はいくつでしょうか?60歳代の方なら比較的お店の名前を覚えているのではないでしょうか。

なんでこんなチラシが残っていたのか?私もわかりません。肝心な書類が残っていなくって、こうした商売には関係のないものが残っている不思議な会社です。もしかして、経営の指標となるキーワードが隠されているのかも・・・

 

岩内~雷電 落石で通行止め

2017年3月28日午前11時、岩内と雷電を結ぶ道路が通行止めになりました。大きな落石が原因とのことで、復旧の見込みは今のところ目途が立っていないとのことです。

雷電海岸の道路は、私が子供のころから頻繁に落石があって、覆道の工事などが常に行われていました。古平のトンネル崩落事故の後、新しく大きな長いトンネルに変わったので、最近は通行止めは少なくなっていたのですが。

弊社も20年ほど前までは、雷電を越えた港町から女工さんをワゴン車で送迎をしていました。ある年に落石の危険があるということで、1カ月以上も通行止めになった時、迂回路の山を越えての送迎をして片道1時間も余計にかかって大変でした。

今回はパノラマラインが冬季閉鎖しているので、さらに遠い倶知安経由になってしまいます。寿都岩内を行き来してお仕事をしている人、企業にとっては深刻な通行止めになると思います。

※30日の新聞では、29日に通行止め解除されたと掲載されていました。

 

小樽商大生が岩内町を題材に準優勝

お話のネタとしては古いものになってしまいますが、小樽商科大学の大津ゼミのみなさんが、地方創生アイディアコンテストで応募486件の中で2位を取る快挙を上げました。(写真は北海道新聞2017年1月28日付)

3月2日、岩内地方文化センターでその発表を聞かせてもらいました。学生さんたちは最終審査に残ってプレゼンをするにあたって、そのプレゼンを演劇仕立にして、短い発表の時間の中でインパクトを与える工夫をしたそうです。確かにひきつけられました。

将来の岩内が「稼ぐ力」を身に着けるために、
1.「ニセコ⇒ブルーオーシャン作戦」 ~ 夏場の海で稼ぐ仕組み
2.「“トッテオキ”のニシン缶を!作戦」 ~ 非常食としてのニシン缶製造
3.「ミズから変える地方と地球のライフライン作戦」 ~ 海洋深層水を使った取組み
といった3つの大きな柱でした。詳しくはここでは説明できませんが、うなづく場面が何度もありました。

岩内出身者はいなかったのに、岩内を題材にしてくれました。それほど岩内には可能性のある素材や環境があると言うことではないでしょうか。聴講していた半分は岩内町の役人さんでした。岩内町民である私たちも、考え、動きましょう!

BYWAY後志17号に岩内線の記事

BYWAY後志という雑誌をご存知でしょうか?一般的な雑誌は広告収入をもとに雑誌が作られていますが、この雑誌は後志をもっと元気にしたいという人たちがボランティアで発行しているものです。

2016年12月発行の17号は、木田金次郎美術館の学芸員である岡部さんが岩内線について寄稿したもの。そもそも彼は岩内生まれではないので、旅人として岩内線の汽車には2度の乗車だけ。だからこそ、岩内人と岩内線のつながりを深く表現出来ていると感じます。

興味のある方はぜひ購入してお読みください。きっと岩内以外の記事も読んで惹き付けられると思います。後志以外だと、札幌の大手書店に置いてあります。不定期の発刊というのが、なんともいいものです。

BYWAY後志を読んでいると、後志は20の市町村がそれぞれの個性を持っている事を強く感じるのですが、一つの街みたいなもの。だって旅行者にとっては小さな一地域ですものね。

 

リゾート開発説明会に参加して

岩内町の円山地区の町有地を使って、新たなリゾート開発計画が発表されました。その説明会が先週の金・土・日の3日間行われましたが、私は第一回目に参加しました。

質問意見を求められると、最初に参加者からは反対という意見がまず出ましたが、すかさず大賛成という意見も。一番参加者の共感を生んだ意見が、「中高生からアンケートを取ったらどうか?」。もっともですね。参加者は私を含めほとんどが50歳代以上。

私も意見を言わせていただきました。私は今は賛成でも反対でもないという立場の上で、
①この計画を聞いた時、最初に感じたのが、また働く人が取られてしまう(働き手の確保が大変)。
②自然に手をつける事はくれぐれも慎重に。フェリー埠頭の二の舞だけにはしてほしくない。
③リフト新設の前に登山道に放置されている老朽化のリフトの撤去は考えないのか?
④クワッドリフトの再開をするならば、キャットのコースはどのようになるのか?

この計画で一番の核になるところは、雇用の確保だと感じます。単なる開発事業ではなく、岩内に住んで働いてもらえる体制も同時に考えていかなければならない。今後多くの議論が行われ、岩内独自の構想が生み出され、実行されていくことを期待します。

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家具の栗林のたら丸雪像2017版

毎年岩内町の家具の栗林店舗前に「たら丸雪像」が登場していますが、今年もしっかり雪像は作られています。2017年版です。

店主の希望は商店街のお店が皆このような雪像を作って、にぎやかな商店街になること。残念ながら追随するお店は出ていませんが、めげず頑張っている栗林さんの姿は偉い!

先日、この写真を撮りに行くと、同じように写真を撮りに来たご婦人が「これ栗林さんが作ったの?」と言われました。新聞でも毎年取り上げられているのですが、まだまだ知らない人もいるのですね。

あいにく、店主が配達に出てキャンドルに火がついていませんでしたが、日が暮れてから街に出ることがありましたら、ぜひお立ち寄りください。この雪像が2月に行われる「たら丸雪像コンテスト」開催の導火線となりました。

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