『八興会館』 その2

 私の祖父である紀伊右エ門は15歳の時に、新潟の佐渡から北海道に渡ってきました。幼い時に両親と死別。祖父母に育てられたと聞きます。
 
 祖父母には、「これからは満州か北海道の時代だ。どちらかを自分で選んで行きなさい」と言われたそうです。それで北海道に渡ってきてくれたのですから、今の私がいるのもその時の紀伊右エ門の選択に感謝しなくてはなりません。

 紀伊右エ門は、祖父母に「将来は人のためになる事をしなさい」とも教育されてきたらしいです。その人のためということが、八興会館建設によって、青少年の健全育成へとつながったのではないかと私は推測します。

 紀伊右エ門自身は剣道、柔道とはまったく無縁でした。建設した後の運営を町に一任するほうがよいと回りから勧められたのを振り切り、自ら館長に就任し、その維持運営も私費にて行ってきました。

 それほどまでの熱意とはどんなものであったのか、孫である私にも理解ができません。金銭的な余裕などまったくないのに、誰も真似のできないことを実行した、とんでもない人物であった事は確かです。

 

ぼちぼちとランニング再開

 冬の間、日曜日のランニングの話題もお休みをしていましたが、また始めさせていただきます。再開の話題はなんと言っても、北海道マラソンの変化について。

 スタートは中島公園横から大通り公園に。スタートとゴールがいっしょの大通ですね。荷物の受け渡しが同じ場所になると言うことでしょうか。真駒内スタートの時からスタートゴールが違った場所だったので、ちょっと戸惑いますが、札幌を象徴する大通公園を拠点にすることによって、応援する側も楽しむ事が出来ると思います。

 参加人数が1万1千人に。とうとう1万人を超えましたが、制限時間は5時間のままなので、最終ブロックからスタートする人たちは、どんな状態になるのでしょうね。最終関門には、5時間のドラマがたくさん生まれることでしょう。

 そして、一番大きな変更である、スタート時刻が9時ちょうど。昨年まではテレビ放送の都合でしょう、12時10分スタートでしたね。午前になるために、暑さの面ではかなり楽になると思います。

 ただ、朝食をどうするか迷っています。昨年までは中島公園の近くのホテルを使っていましたが、今年は大通りから近いホテルにしました。スタートの4時間前に食事を済ませるほうがいいと言われているので、5時から朝食をとらせてくれるところがあったらいいですね。

 最後に参加料金が10,000円の大台に。「交通遺児・東日本大震災チャリティー分を含みます」と書かれてありますので、どれだけの金額がチャリティー分なのかわかりませんが、役に立ってくれる事を願います。

 私の周りでも、「フルマラソンなんて無理」と公言していた人が、昨年北海道マラソンに参加して完走できた人がいます。走り終えてすぐは、フルはもうイヤ!と言っていたのに、一週間もすると来年の「北海道マラソンは○○分を切る」なんと言っているのです。

 4時間制限を懐かしむ声もあるでしょうが、変化していくことに対応していきましょう。宿泊施設の変更と食事をどのようにするか。申し込み開始以前から考えることがあります。まだロードを走ってもいないのにね。

 さぁ、冬眠から目を覚まして、ぼちぼちと始めるとしますか。

深夜番組ブギウギ専務で3週連続岩内が出ました

 STVの深夜番組「ブギウギ専務」に3週連続で、岩内町が出ました。連続3回のうち、2回目にたら丸君が登場、3回目にたら丸君が岩内町内を案内するというものでした。

 テレビ番組にしてみると、たら丸君にとてもいいネタをいただいたように思えます。岩内町にとっては、とてもいい町の宣伝になったのではないでしょうか。

 いわない楽座で、たら丸焼の紹介。岩内食品の中に、吉田鮮魚店というお店があり、そこの「たつかまの紹介をしました。二つとも、とてもおいしそうに見えました。

 たら丸君は、岩内のイメージキャラクターですが、よくある「かわいい」というイメージから離れていますね。おとぼけとユーモアがあり、ちょっとずるそうな雰囲気も。でも憎めないやつ。どこにでもありそうでないキャラクターなので、いいのです。ゆるキャラも進化しているなぁ、と感じました。

ようやくニシンの群来

 先日の北海道新聞には、小樽の海岸に群来(くき)が見られたと書かれていました。群来とは?ニシンが産卵のために群れをなして海岸にやって来る事を言います。その時、白子を一斉に放出するために、海が真っ白になります。

 昨年は2月の上旬に群来のニュースが流れましたが、今年は2月の下旬なので、ずいぶんと遅れているようです。秋から冬にかけては水温が高いままだと報じられ、冬から春にかけては水温が低いままと報じられるここ数年です。これって、自然現象が遅れているのではなく、暦がずれているのでは?と冗談にも考えてしまいますが、さにあらず。

 数年前、留萌にある水産加工業の同業者のお話です。突然漁師さんが「おめんとこで(お前のところで)、何流してんだ!」と怒鳴りこんで来たとのこと。外を見ると、海が真っ白。あっけにとられてよく見ると、ニシンの群来だったと。その漁師さんも初めて見る群来の姿だったと。

 昔はもっとすごかったのでしょうね。最近は、トドやアザラシといった海獣がニシンを追って群れをなして来ているようです。網を引きちぎり、その被害も年々ひどくなっているとのこと。資源のバランスが崩れているのでしょうね。

ぬかニシンの三平汁

  北海道新聞に「きょうの1品」というタイトルでお料理を紹介しているコーナーをご存知でしょうか?料理研究家の立野豊子先生が、一週間ほど前に“ぬかニシンの三平汁”のレシピを書いていましたので、以下にご紹介いたします。

ぬかニシンの三平汁

◇材料(2人分) 糠ニシン1/2匹、大根1/8本、ニンジン1/4本、ジャガイモ1個、長ネギ1/3本、昆布10㌢角1枚、酒、塩、七味唐辛子、
◇作り方
①糠にしんは、糠を洗い、厚さ1センチのぶつ切りにする。大根はイチョウ切り、ニンジンは半月切りにする。ジャガイモは一口大に切り、長ネギは斜め切りにする。鍋に水3カップと昆布を入れて40分ほどつけておく。
②昆布を入れた鍋に糠ニシンを入れ、中火にかける。煮だったらあくを取り、昆布を取りだし、昆布を食べやすい大きさに切る。
③大根、ニンジン、ジャガイモ、切った昆布を入れやわらかくなるまで煮る。酒おおさじ1、塩少々で味を調え、長ネギを加えて、ひと煮立ちさせる。器に盛り七味唐辛子をふる。
◇メモ
糠ニシンのうま味が、野菜にしみこんでいる北海道野郷土料理です。塩分が強い糠にしんもありますので、塩を入れるときは、味見をしてくださいね。

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 写真は、我が妻が作ってくれたものです。「写して(ブログに)載せるの?!」とドスの利いた声でけん制されましたが、載せちゃった。

 上のレシピは、新聞から書きうつしました。ところが、ちゃんと道新で紹介された内容を紹介しているサイトがあるんですね。写し終わってから、見つけました。ちょっとがっかり。でも、写すことによって覚えるのですから、よしとしましょ。

 糠ニシンは、あまり小さく切ると、骨が気になりますが、大きく切ると、とても骨離れがよくて、食べやすくなります。お子様にもバッチリですので、評判のいい『一八の糠ニシン』でどうぞ。

排雪ですっきり

 工場前の南北に延びる道路に、今年初めて排雪が入りました。終わった後は、この道路ってこんなに幅が広かったっけ?と思うほど、見違えてすっきりとしました。作業された皆さん、ありがとうございました。

 キャタピラの音や、ロータリーの音などで工場内に響き渡る音。もしかして・・と外に出て見ると、ショベルカー、ロータリー車、ダンプカー、除雪車と誘導作業員が数名。

 最初、道路の両側に固まって山になった雪を、ショベルカーがかき出します。ロータリー車が勢いよく雪をダンプカーに。最初と最後にクラクションを鳴らして、交代の合図。取り損ねた雪を待機していた除雪車がかき集めます。それらを3往復してようやく去って行きました。見通しが良くて、いままで使えていたものが、気持ちよく出た~。といった表現が一番ですね。

 先日、私は工場の雪山の一部を取り除きました。この排雪が来るのだったら、取らねば良かったと思いました。でも、そんな考えをしていたら、皆自分の土地の雪まで出してしまって、排雪が追いつかなくなってしまいます。ですから、排雪のスケジュールは教えてくれないんですよね。 あー、すっきり!

雷電温泉のこと

 岩内の景勝地、刀掛岩は雷電海岸に位置します。岩内町の市街地から12km西に位置しています。

 そこには、10年ほど前までは、ホテル雷電、観光かとうなどといった温泉宿があり、それなりに流行っていたものです。しかし、円山地区の温泉開発が進むと、人の流れはそちらに行ってしまいました。

 今は、ホテル雷電は名前を変えて、違う経営者によって営業をしているようです。私も昔はよくホテル雷電の温泉に通ったことがありました。お風呂からは、刀掛岩が見え、夏は夕日と漁火も見ることができる、いい温泉でした。

 古平のトンネル岩盤崩落事故の後、海岸線はいたるところで、長いトンネルができました。おかげで安心とはいえ、景色が見えなくなってしまいました。雷電海岸もほとんどがトンネルのようなものです。ですが、トンネルを抜けた瞬間に、ガラッと変わった風景が目の前に出てくるという迫力があります。

 写真は2月の刀掛岩ですが、夏はまた違った風景になります。そんな歴史的な変化も感じながら、雷電海岸へお越しください。

『八興会館』  その1

  岩内出身の皆さん、八興会館(はっこうかいかん)という名前を覚えていますか?大浜海水浴場に行く途中にあった道場です。いわゆる武道館なのですが、この建物は弊社の先代、紀伊右エ門が私財を投じて建設したものでした。当時の費用で450万と記録されています。

 設立は昭和38年2月9日。木造モルタル一部2階建の117坪。柔道道場33坪、剣道道場33坪。住込みの管理人室、更衣室、浴室があり、柔道着50着、剣道防具45組を取りそろえてのスタートでした。

 私財を投じて設立した背景は、青少年の健全育成。昭和29年の大火後の岩内は皆財産を失い、大変な思いをしていました。言葉は悪いのですが、不良と呼ばれる悪の道に踏み出す子も多く、紀伊右エ門は武道を通して子供たちを育てたいという気持ちから、八興会館の設立に至りました。

 八興会館のお話は、あまりにも大きな話題なので、いままでどこから手をつけて良いのやらわかりませんでした。先日、長い間管理人を引き受けていただいていた大泉さんから資料を受け取ったので、何回かに分けて書かせていただきます。写真は、平成18年取り壊し直前のものです。

個人的なスキーのお話

 昨年12月より日曜日は、岩内のスキー場のことを中心に書かせていただきましたが、今回が最後となります。来週からは、またマラソンのお話に戻りますが、最後に私自身のスキーについて書かせてください。

 さて、ずっとこのブログを読んでいる方は、私がスキーが好きだと言う事は、うすうす感じられたことでしょう。スキーに行きたくて、夏の小遣いを使わずにため込んで、冬のリフト代につぎ込むという子供でした。

 小学6年生の時には、一人で岩内から倶知安までバスに乗り、倶知安でヒラフ行きのバスに乗り換えて、ヒラフスキー場に行って滑ったりしていました。ひらふスキー場行きのバスは、まだワンマンカーではなく、切符を一人ずつ車掌さんが売りに来る時代でした。

 小学生が一人でバスに乗っているのです。若い女性の車掌さんは、そんな小学生の私に「一人で来てるの?」と質問して、「うん」と答えると、切符を切ったふりをして、お金を取らなかったのです。何回か行くと顔も覚えられました。とっても嬉しかった思い出です。

 ほとんどの人が、学生を卒業してスキーを引退。子供がスキーを始めるようになって、再開する人が何人か。私はずっと続けていました。何が魅力かは、自然の山を相手にするからです。同じコースであっても、行く時によっては、雪質がまったく違います。いろいろな雪、いろいろな斜面、それらは、経験を通して少しずつ上手に滑る事が出来るようにります。他のスポーツでは足手まといになる少年が、スキーだけはそんな経験を積んで、一人前になっていきました。

 このブログでは、岩内のスキー場について書きましたが、現状のリフト1本のコースでは、ある程度のレベルの人たちにとっては、物足りないコースです。ゆえに、地元子供たちのためのスキー場とキャットを使って深雪を堪能できる二つの顔を持っています。

 そんなことから、私のホームゲレンデは、ひらふスキー場です。世界から人が集まるそのゲレンデは、ナイターではその規模は世界一です。その世界一がすぐそこにあるのですから、利用しないのは、もったいない。

 岩内町でラーメン屋をしている高校の同級生のT君、70歳を越えても元気な事務機屋Aさん、30代の同業者のK君と仕事を終えてから、ひらふへ。2時間ほど滑って、ワイス温泉に入って、岩内に戻って軽く一杯。今日の雪は良かったなぁ~などと言いながら、過ごすひと時はとても幸せです。

 近くでそんな気持ちに共感される人がいましたら、私たちとひらふスキー場でご一緒しませんか?上手下手は関係ございません。スキーを楽しむその気持ちがあれば、OKです。

日が長くなってきました

 真っ暗な中、出勤してきて、帰る時も真っ暗。寒くなってからは、それが当たり前の生活でしたが、最近は朝が明るいんです。ちょっびり嬉しいですね。

 写真は、2月23日の朝、事務所から見えたお日様です。日が昇る位置も以前はもっと西寄り(右側)でしたが、日を追うごとに東に寄ってきました。

 札幌雪まつりが冬の折り返し点だとよく言います。実際、今週は少し暖気となって、春の気配も少しだけではありますが、感じられるようになってきました。

 冬至は12月で、すでに2カ月も過ぎています。あと一カ月もすれば春分の日です。時の流れに流されないよう、しっかりと毎日を一歩一歩踏みしめて歩かねば。そうです、暖気の翌朝はツルツルですからね。お気をつけて、踏みしめて歩いてください。