岩内円山スキー場の山小屋

 昨年12月から日曜日の話題は、岩内のスキー場について連載しています。本日は、先週に続いて円山(観音山)のスキー場についての続編です。

 いわないスキー場が1980年にできる前までは、円山と呼ばれるところで町民はスキーを滑っていました。先週は、ロープ塔が設置され、それを利用して滑っていた事をお話しましたが、今週は休憩所についてです。私のかすかな記憶で書きますので、違っていたら、お知らせください。

 小さな小屋の真ん中の部屋では、ダルマストーブが部屋の中央にあり、その周りを木でできた椅子が囲んでいました。ストーブの上部には、大きな金網が吊ってあり、そこに濡れた帽子や手袋を乗せて干します。

 奥には、近くに住んでいたおばさんが、ラーメンなどを作ってカウンターで食べることができました。ただし、日曜日のように、たくさん人が来る時だけの営業だったような。ほとんどの人は、おにぎりをリュックに詰めて持ってきました。もちろん、自動販売機などはありません。

 トイレはもちろんポットン式で、日没になると、それなりに薄気味悪くなります。ストーブの火の管理は、誰ともなく、最初に来た人がマッチで新聞紙、焚きつけを組み合わせて上手に火を付けました。帰りは空気穴を閉じて、最後に残った人が火を消して帰りました。

 私が中学生、高校生の時代ですから、この小屋の管理がどのようになっていたのかはわかりません。ですが、だれしもが、当たり前のように使い、暗黙のルールで使っていた記憶があります。現在のように、何かあるとすぐに町の管理が悪いなどとわめく人などいません。

 写真は、先日の夕方に撮ってきました。行く前は、まだこの小屋は残っているのだろうか?と思いましたが、ありました。岩内高原ホテルに行く時に、左折しますが、そこの交差点のすぐ奥にあります。

 今は、雪でたっぷり埋もれています。写真を撮る時は、ひざ上までの雪をラッセルして進みました。屋根の真中に煙突があります。そこから見える煙が、当時のスキー少年にとっては、とてもワクワクさせる狼煙(のろし)でもありました。

 この小屋を見ているだけで、当時のスキーでのいろいろな出来事がフラッシュバックします。あるシーンです。ロープ塔に乗るのに並んでいた時、私の友人に3月14日はスキーに来るかい?と尋ねたら、「ホワイトデーだから、来ない」と言われました。なにそれ?女性には縁がなく、スキーどっぷりの私には、理解できない発言でした。

 と、どうでもいいことをまた書いてしまいました。この小屋を見ていると、また変なシーンを思い浮かべそうです。皆さんはいかに?

お寿司屋さんの座敷椅子

 岩内町には、たくさんの美味しいお寿司屋さんがあります。ほとんどのお寿司屋さんの2階では、座敷の個室を作っていたり、宴会ができるようにしてあります。

 以前は、座布団を敷いてあぐらをかいての宴会でしたが、最近は写真のように、座敷椅子を使うのが多くなっています。年配の方は、「ひざが楽でこの方がいいんだよ」と言う方が多いです。

 テーブルもその高さに合わせるために、以前のものに金具で足の部分を取りつけられるようになっています。座布団使用の時は、その部分を外せばいいのです。なるほど。

 昔はホテルうきよ、ホテルいのう、という大きな結婚式ができるホールがあり、そこで各種の新年会等が行われていたのです。今は、お寿司屋さんの二階でやるのが多くなりましたね。

 岩内でこの座敷椅子でお寿司を食べたいという方は、各お店に予約の上、座敷椅子の個室で食べたいとお申し出ください。お客様、読んでいて、よだれが出てますよ。

東北のお魚のカレンダー

 毎年、取引している全国の卸売市場からカレンダーが届けられますが、その中で表紙に東北で獲れる魚介類が並べられているものがありました。

 各月では、それらの拡大図が描かれています。写真ではなく絵ですが、本物そっくりの描写です。一応、すべて絵と名前は一致しました。「北のお魚大使」の勉強で理解したもの。岩内町の市場で覚えたものなどです。

 東北の魚なので、北海道とは違った魚が並ぶのかと思いしや、ほとんどが北海道で獲れるものと同じでした。でも、年々海水温が上昇している事を考えると、20年後くらいには、南の魚がこれに取って代わるなんてことになるかもね。

 マダラ、マガキ、マダイなど、マなんとかという名前が多いのは、魚の名前の特徴ですね。北海道特有のものには、エゾなんとかという名前がありますが、マなんとかというのは、本流の種と考えるほうがいいのでしょうか。人間に例えると、あなたはニホンジン?ホッカイドウジン?イワナイジン?

平成24年の蔵開き

 毎年、1月11日は蔵開き。もう新年になってから、とっくに営業冷蔵庫は荷物の出し入れをしているのに、蔵開きとは、いかに?と屁理屈を言うのは、私くらいなものでしょう。

 昔は営業冷蔵庫だけでなく、個人の水産加工業者などでも、自前の冷蔵庫の蔵開きの儀式を行ったので、宮司さんは朝から忙しく回ったとのことです。廃業などで、年々その数も減っているようです。

 写真は、蔵開きの儀式の祭壇です。それぞれ意味があるようですが、皆さまはお分かりでしょうか?今回は終わった後に少し教えていただきました。野菜のお供えは、匂いのするニンニクなどの野菜は使ってはいけないとのことです。それだけ?まぁ、ちょっとずつ覚えていきましょう。

 今年も一年、苦しい時だけの神頼みではなく、普段からいろいろな事に感謝する気持ちをもって、神様にお参りいたしましょう。あら、今日はずいぶん真面目なまとめ方でしたね。

岩内町唯一の歩道橋

 小樽方面から岩内の町に入ってすぐのところに、歩道橋があります。そりゃあるだろうと思われる方は、都会の方ですね。北海道の地方のちっちゃな町で歩道橋があるのは、非常に珍しいと思います。

 1972年12月に完成したと書かれてあります。たぶん、これは現在の東小学校と第一中学校が同年11月に新校舎として建設されたので、この2校に通う児童生徒を安全に通学させるためにと作られたものと思われます。

 私も第一中学校に通う時は、この歩道橋を利用していました。しかし、当時の交通量はさほど多くなく、なんでわざわざ歩道橋を使うのさと思いました。歩道橋を使わずに横断したところを先生に見つかると、大目玉を食らいます。

 写真をご覧になって変な形と思うでしょう。なんと風除けがついているのです。私が学生だった頃は風除けはなく、猛吹雪の時の歩道橋の上はすごい風で、かえって危ない思いをしました。私が卒業してから、風除けが取り付けられたと思います。

 でも、部活で疲れた体には、この登り降りは辛いのです。第一中学校までは片道2km。その中にこの歩道橋。今思えば、毎日のこの歩きが足腰を丈夫にしてくれたのだと思います。

平成24年1月9日で50歳

 私ごとで恐縮ですが、1月9日になりまして、50歳となりました。昨年も書きましたが、1月8日が誕生日だったなら、「いっぱち」の日になるのですが、一日遅れの誕生ということで、『いっぱちになり損ねた男』でございます。

 1月8日に、組合の新年会がありました。その2次会のスナックで、私が明日50歳の誕生日だと言うと、青年部の若い人たちが近くのコンビニからショートケーキを買ってきてくれて、ろうそく5本を立ててくれました。お店からは、プレゼントもいただきました。

 この年で誕生日を祝ってもらうとは少々照れますが、若い人たちがすぐに行動してくれた事を、とてもうれしく感じました。 

 50歳と言えば一つの節目でしょうが、私自身はいつもと変わらず。とは言え、私にとって今の仕事をマラソンでたとえれば、折り返し地点でしょうか。と考えれば、本当の勝負はこれからです。

BYWAYという雑誌の紹介

 発行部数は少ないけれども、後志地方の文化などを上手に表現した 『BYWAY後志』 という雑誌があるのをご存知でしょうか?一般的な雑誌に見られる、広告を載せて利益を出すというものではありません。内容も非常に濃いものになっています。

 その雑誌の5号(現在最新で9号)に、私と岩内町の同業者若手2名がインタビューされている記事が出ています。テーマは、身欠にしんについてです。もう2年も前に発行されたものです。その時、記事を書いてくれたのは、郵便局に勤めていた若い女性のKさん。お世話になりました。

 発行のための資金はどのように?といろいろと考えてしまいますが、ここでその事に突っ込みを入れるのはやめることにしましょう。1冊1,050円と決してお手頃価格とは言い難いですが、内容からすると、この価格でよく収めたねという実感です。

 地方の良き文化を残したい。情報発信したいと思って人は多いと思います。私がこうして岩内の事を書いている事も、その一つです。お墓のような石碑で残すのではなく、言葉で伝え文字で残すべきことは、いっぱいあると思います。それが観光に繋がるのではと私は感じています。

 雑誌に興味がある方は、BYWAYホームページにて詳細をご覧ください。バックナンバーも取り寄せ可能とのことです。本州からの旅行者の皆さんは、千歳空港にも置いてあるようですので、ぜひ一度手にとってご覧ください。そして、後志に足をお運びください。

岩内町の円山スキー場とロープ塔

 岩内スキー場ができたのが、1980年。では、それまでは岩内のスキーヤーはどこを滑っていたのでしょう?通称観音山(かんのんさん)と呼ばれる、円山という岩内岳の手前にこぶのように突き出た山があります。その東側の北斜面を滑っていました。

 リフトはありません。ですが、私が中学生になると、ロープ塔と呼ばれるものが、地元のある会社によって設置されました。

 そのロープ塔は一本のロープが回転しているだけ。そのロープをつかみ、スキーをそろえて滑りながら登っていくのです。スキー手袋は摩擦によって、縫い目がどんどんほどけてしまい、何度も母に縫い直してもらったものです。

 握力が必要なので、力のない女性や、私のように小さな体の子は、山頂まで行くことができず、途中で手を離してしまう事もよくありました。スキー手袋の上に、ゴム手袋をしてグリップ力を高めるという事もしました。

 何年かしてから、細いワイヤーにTの字の取っ手をつけて乗るものに変わりました。ちょうどおしりをひっかけるようになってるのですが、最初ひっかけたすぐ後の衝撃をうまく吸収できず、転んでしまう人が何人もいました。

 てっぺんに行くと、T字の取っ手を下に戻るワイヤーにヤジロベイ型にかけて戻します。とここまで読んで、その風景を想像できた人は、実際にそのロープ塔を使っていた人くらいなものですよね。説明が難しいのです。

 私が中学、高校生だった時なので、1970年代のお話です。そのロープ塔の写真がないのが残念です。どなたかお持ちてはありませんか?ということで、今月の日曜日もスキーの昔話が続きます。来週もお楽しみに。

 

始業前のフォークリフトで除雪

 女工さんが出勤する前に、工場の若い男性と私は、会社周辺の除雪を行います。長年の経験をもとに、フォークリフトを使ったその効果的な除雪方法を書きます。

 大雪の時は、まず駐車場の広いスペースの軽い雪を一か所に集めます。その雪山には、軽い雪を積んだ後に、町の除雪車が置いて行った重い雪を取り除き、軽い雪の上に積み上げます。一日経過すると、雪山は締った状態になり、体積が縮まります。

 雪山は2つ作っており、連日降り続く場合は、交互にその山を作ります。雪が降らない日にその部分を排雪するようにします。工場の入り口、シャッターの部分は、人の手で雪をかき出して、フォークリフトが一回で持っていけるようにします。

 フォークリフトは車高が低いので、凹凸の部分には弱く、大雪の時はお腹に雪がすぐに溜まってしまうので、深追いしないことが注意点です。また、持ち上げる力はありますが、下げる力がないので、積上げることを上手に使う事を心がけます。

 要するに、①ためる、②積上げる、③持って行く、の動作を少ない回数で行いますが、本来フォークリフトは除雪を目的とした重機ではないので、他にもいろいろと注意点があります。これ以上は弊社商品ご購入の方のみに、特別にお教えいたします。(すごい商売?)

 除雪、排雪は、その広さ、地形、ご近所との関係、時間帯等によって、ケースバイケースで考えなければいけないと思います。工場を動かすという仕事をしていると、やはり効果的な方法は何かを追求したくなるのです。

海とさかな自由研究・作品コンクールの新聞記事

 写真は、水産業界の専門新聞「みなと新聞」平成23年12月28日付の記事です。朝日新聞社の主催、大手水産会社が協賛して、小学生を対象に 『 海 と さかなと わたしたち 』 というテーマで、自由研究、観察図、作文、工作、絵画、絵本、音楽などで『表現』するというもの。

 海とさかな自由研究・作品コンクールのホームページには、このコンクールがどのように生まれたかの記述があります(誕生のエピソード)。それを読むと、せっかく私は「北のお魚大使」の試験に合格して、大使として称号をもらったのに、何をやっていたんだと反省させられます。

 コンクールに応募すると、全員が海とさかな博士号の認定書をもらう事が出来て、入賞すると図書カードと東京ディズニーリゾートへ家族で招待されるらしです。毎年行われているので、ぜひ小学生のお子さんをお持ちの方はチャレンジを。でも、親御さんがディズニーリゾートに行きたいからと、手伝い過ぎてはダメよ。

 私たち加工業者は、魚ばなれが深刻なのに、人事のように売れないとぼやくだけ。弊社のようなちっぽけな会社ができることなんてしれていますが、何もしないのは罪です。ちょっとでも役に立てられるよう、今年は子供たちに魚に興味を持ってもらえる何かをしたいと思います。