訃報

 すでにいろんなところでお知らせがあるので、ご存知かもしれませんが、前岩内町長の岩城成治さん(78)が10月4日に亡くなりました。1983年に町長に就任し、5期20年間町長として在職されました。現職上岡町長と戦い、折しも8年前の町長選挙で敗れ、引退されました。

 また、通称「きねや」と呼ばれる小林榮仁さん(80)も4日に亡くなられました。きねやさんは、町議会議員選挙に何度も立候補し、一度も当選したことはありませんでした。自転車に自分の名前をぶら下げながら選挙活動をするなど、ユニークな存在だったので、記憶に残っている人も多いと思います。

 お二人を同時に話題にするのは、いかがなものかとも感じます。しかし、10月2日に町長選挙があったばかり。岩城前町長の功績には賛否両論があるものの、20年間岩内の為に尽くされた方。一方きねやさんは、町政にかかわりたくても出来なかった人。私には、政治の一つの時代の区切りと見えてしまいます。 

今年も落葉きのこをいただきました

 毎年、ご近所のK奥さまが届けてくれる、落葉きのこ。小さな頃から落葉きのこ取りをしていて、今では名人の域に達しているようです。

 「小ぶりなんだけど・・」と言われていましたが、私には小ぶりでも何でもとてもうれしい瞬間です。ちょっと二日酔い気味なので、大根おろしでお味噌汁をいただきたいです。

 私の妻は東京出身で、こちらに来た当初は、このようにキノコや竹の子などの山菜をいただいても、どう料理していいのか分からないと戸惑っていました。今でもあまり得意ではないにせよ、なんとか料理してくれるようになりました。

 山から海からも、自然の恵みというのは、当たり前のようですが、ありがたいと感じます。旬ですね。季節はそろそろ漬けものの時期ですが、漬けもの用の身欠にしんのお問い合わせもお待ちしております。

軽トラ市の新聞記事

 ちょっと日が過ぎてしまいましたが、9月24日の道新夕刊9ページに、魅力満載軽トラ市と題して、記事が載っていました。

 軽トラ市は、2005年に岩手県雫石町行われたのが元祖とされ、全国各地で行われるようになったとあります。道内では、岩内町が2008年に最初に行われ、年に2回開催されています。

 新聞記事には、「農家に必ず1台はあるのが軽トラ。収穫してすぐ持って来られる」と28歳の農家。「片づけもさっと終わる」と言ったのは、・・・一八興業水産の紀専務(44)と書いてあります。

 先日、札幌の友人から「専務って、44歳だったの?私より年下だったとはショック!」と言われました。いえいえ、違います。私は49歳です。たぶん、取材の記者が自身の筆跡を9と4を間違えたのでしょう。友人に説明すると、年齢詐称だと言われましたが、不思議と若く間違えられる分にはなんとも思わないのですね。これが年上に書かれたら、道新さんにクレームを入れていたことでしょう。

 軽トラの話に戻りますが、手軽にできるのが、軽トラ市の良いところ。このように注目されても長続きしなければ意味がないです。続かせるためには、商品や価格に魅力があって、すべてが簡単にできる仕組みを作り、『継続』しなければいけませんね。

昭和49年の時刻表

 弊社の事務所2階から、また面白いものを発見。昭和49年の汽車とバスの時刻表です。1974年、今から37年前のものです。

 文字が小さくてわかりにくいと思います。今と違う点をご説明いたしましょう。

  1. 真中には、汽車の時刻表。もちろん岩内線は廃止になっています。
  2. 神恵内線は終点が赤石になっています。当時、赤石から川白、神威岬方面は道路が開通していませんでした。
  3. 広告には、宴会場を経営していた、ホテルうきよの広告があります。残念ながら今はありません。
  4. 大曲、発足局のバスは、現在神恵内方面のバスと統一され、発車時間によって、発足経由のものと、そうでないバスがあります。
  5. 円山温泉方面のバスが、当時はありませんでした。
  6. 電話番号の局番が62ではなく、1ケタの⑥です。

 他にも細かく言えばたくさんあるでしょう。探してみてください。なんと言っても、汽車の時刻表ですよね。右側が発車時刻で左が到着時刻です。赤文字になっているのは、「急行らいでん」で、そのまま札幌行きとなります。

 岩内に関係のない人にとっては、どうでもいいことかもしれませんが、岩内で育った人ならば、「懐かしい」と思うことでしょう。

  

8℃のスイッチ

 10月に入り、気温もぐっと低くなりました。ふと岩内岳を見上げると、上部の色が変化しています。いよいよ始まったなという感じです。

 紅葉は気温が8℃になると始まると言われています。8℃という温度がスイッチのようなもので、下回ると紅葉が始まるのです。これから毎日岩内岳を見上げると、上部の色の変化がじわじわと下に降りてきて、いつしか上部は白い色になっているという、北海道ならではの風景を感じます。

 こんな風景を私は何回見てきただろう。子供の頃はこんな自然の変化を当たり前のように何も感じていませんでしたが、今は四季のメリハリのある風景の中にいることを、ちょっぴり幸せに感じます。

 町内のナナカマドが真っ赤に色づくのは、もう少しかかりそうです。8℃のスイッチが入ったことを、憂鬱に感じず、季節の変化を楽しむ余裕を持ちたいものです。でも、現実は毎日走りまわって余裕がありません。いつになったら落ち着くのでしょう?・・・・・

 写真はサポートセンター付近から見た岩内岳です。色が見にくいですが、肉眼では上部が黄色に変化しているのがわかります。

マラソン大会のスタート整列

 マラソン大会に出る皆さんは、いつもスタートの時、どの辺に並びますか?

 小さな大会で、ブロック分けされていない時は、それぞれが自然に立ち位置が決まるように感じます。速い人は、スタートラインから数列目。それなりの人は、後方に立つといった具合ですね。

 洞爺湖、千歳などの参加者の多い大会は、自己申告で、3時間以内、4時間以内、5時間以内などの区切りがあって、そこに並びます。私が参加するハーフマラソンで区切りを付けるのは、札幌マラソンくらいでしょうか。めちゃくちゃ人が多いですものね。

 この札幌マラソン、500人単位で、区分けされます。前年のこの大会の記録をもとに速い人順に番号がつきますが、最初は陸連登録者です。そのあとに、一般登録者の速い順となります。北海道マラソンのように、2年以内の他の大会の記録は使えないのです。

 私が最初に参加した年は、一番最後のブロックからのスタートだったので、ロスタイムがかなりありました。翌年は第2ブロックからのスタート。翌々年は第1ブロックに入る事ができました。しかし、近年陸連登録者が多くなり、一般参加者である私は、今年はとうとう第二ブロックに押し出されてしまいました。

 まぁ、しょうがないですね。スタート位置が下がる事で、ロスタイムが増えますが、登録してまで記録がほしいというものでもないので、決められた通りにいたします。

 毎年、移動するときに、後方の方がどさくさにまぎれて、どんどん前に出る方がいます。また、スタート後に歩道や対向車線を走らないようにアナウンがされてもやってしまう人がいます。人の多さで、抜くことができなくてイライラする気持ちもわからないではないですが、マナーは守って走りましょう。どうしても前に出たければ、陸連登録して走られる方がいいですね。

 言い忘れました。札幌マラソンは女子は右側の前方に並びます。男性よりは、ちょっとお得になっています。

 ということで、本日は第36回札幌マラソンです。前に出たいと言うのであれば、整列開始と同時に、指定されたブロックの前に並びましょう。くれぐれも申しますが、前にでたからと言って、その分結果がついてくるものではありませんよ。今までの練習が今日の結果となるのです。

 私は今年最後のハーフマラソンです。結果報告は来週いたします。写真は読売新聞に掲載された、昨年のスタート風景です。

タイミングの悪い納品

 弊社のようなモノ作りをしていると、必ず段ボールやいろいろな資材の購入をしなくてはなりません。当然資材屋さんと呼ばれる方たちとの商売のつながりがあります。

 最近の物づくりは、小ロット多品種となり、その資材の種類も多くなり、管理が難しくなっています。塩数の子の資材については、使用する期間が毎年今時期とあって、まとまって納品となります。

 面白い事に、まとめて納品する日に限って、雨になる資材屋さんがいます。今月最初の納品時も、わざわざ台風を避けて日をずらすと、その日に雨。それが今年だけではなく、毎年そんな天気なのですから、不思議です。

 運よく雨が降らずに、納品が終わると、「珍しい事もあるものだね、今日は雨が降るんじゃない?」なんて、変な笑い話になったりします。一生懸命にやってくれる資材屋さんなので、日ごろの行いが悪いというわけではないのですがね。そんなことってありません?

法務局岩内支局のあと

 岩内町の真ん中は、高台になっています。住所も文字通り、「高台」。私が昔通っていたのは、高台小学校でした。そこは、八幡通と呼ばれ、街の真ん中を通る国道229号線と並行しています。

 そこにガラス張りの部分をべニア板で隠すように、閉鎖している建物があります。 札幌法務局の岩内支局跡です。看板には、平成19年3月に閉鎖し、窓口業務は倶知安町にある支局で行う事になったと。

 私たちがお世話になる仕事というのは、印鑑証明などで年に数回程度の事です。実際の業務に大きく影響するという程ではありませんが、存在していた事のことを考えると、寂しくなるものです。

 都市部と地方の格差は、このような行政の統廃合も少なからず影響していると思います。人口が減り、医療や行政サービスが縮小。さらに人口流出。こんな負の連鎖を切るにはどうすればいいのでしょう。魅力のある町になればいいのです。

 言うは易く、行うは難し。でも、一歩一歩できることから。

イナダをいただきました

 先日、イナダをいただきました。ブリの小型魚です。と書くと、いや違う、これはハマチだ、ニマイズルだとか、いろいろと言われそうです。

 世間で言う、出世魚の代表格ですね。地方地方によって、その呼び方と大きさによっての名前が異なる魚の代表格と言えます。その名前と地域について語ると、いろいろありそうなので、ここでは省略させていただきます。

 久しぶりに「北のお魚大使」の教科書からの抜粋です。ブリは回遊形態から、日本海、太平洋、東シナ海の3つのグループに分かれます。日本海グループの産卵場所は九州沖南西諸島。大回遊は3歳になってから。

 7月~8月は適水温(14℃~19℃)と餌を求めて道南日本海側まで北上し、9月~10月には北部日本海に達し、その後日本海を南下し、11月には北海道を離れます。北海道では、体長35cm前後のフクラゲと呼ばれるものが漁獲されます。

 昨年、寿都町で、大型のブリが市場からはみ出るほど大漁になった事がありました。不思議な事にこの回遊についはまだ解明されていない事がたくさんあるようです。さて、久しぶりにお刺身を作って食べよっと。

 

岩内町の不動産取引

 岩内町には、不動産屋さんがありません。ですから、転勤で岩内に来た場合は、不動産屋さんでアパートを探すなんてことはできないのです。

 では、みなさんどのようにしているのでしょう?ほとんどが口コミなど、知人や会社からの情報をもとに探されているようです。私は岩内で探した事はないので、これ以上の事は申し上げられません。

 昔の岩内の土地は、かなり高いものでした。人口密度日本一になった事のある街ですからね。しかし、最近の土地取引の価格は、かなり値下がりしているのが現状です。

 弊社も土地はいくつか所有しております。先代が土地に執着した人だったので、誰かが売りたいと言えば、買っていたという時代もあったようです。ということで、岩内で土地をお探しの方がいらっしゃいましたら、一声おかけください。