テレビ取材

今年2月と4月に、NHKのテレビ取材を受けました。そのうちの一件は北海道限定版ですが、長寿番組の「北海道中ひざくりげ」。ご覧になった方も多いかと思います。30分番組で、若い池田アナウンサーが岩内町に来て、岩内で働くおばちゃんたちにスポットを当てて取材をするといった流れでした。

今回の取材は、最初に製作番組のディレクターが、役場の企画産業課に問い合わせ、そこから紹介されたところに取材の申し込みをするというものです。岩内町の加工屋さんは取材が嫌いです。もちろん私もイヤです。なぜって、一度カメラが入るとほとんど私は仕事が出来なくなってしまいます。取材陣はいつもどおりの仕事をして下さいというものの、いろんなところに気をつけなくてはならないし、カメラで撮って欲しくないところもあるので、監視もしなくてはいけない。とにかく大変なのです。

さて、Yディレクターは2月にスケトウダラの漁からたらこが出来るまでの番組を作りたいと言ってきました。現在のスケソのシーズンは11月から1月。たらこの製造もしていないよ。と断ると、困った顔。とりあえず、工場を見ていくと、後日岩内で働くおばちゃんたちを取り上げたいと。

工場で働く女工さんたちは良く働きます。口は悪い人はいるけれど、悪い人間はいません。そして、生きることに一生懸命です。昔から岩内を支えているのは、この人たちだよといったのが、Yディレクターに通じたのかわかりませんが、女工さんたちの人間性、一生懸命さを上手に表現してくれた番組になりました。

日本一の生産量と日本一の品質の岩内の身欠きにしんも、とても美味しそうに撮ってくれました。久しぶりにいい番組を作ってくれたなと思いました。一週間も岩内に取材陣ははりつき、タツカマを作っている方、釣縄を作っている漁師の奥さんの取材とともに、番組作りをしてくれました。

ご覧になりたい方は、一八で身欠にしんを購入してください。そして、録画したDVDを貸してと一言言ってください。私も商人ですので、あしからず。

これを読んでいるどこかのディレクターさん、だからと言って私は取材はお受けいたしません。経費節減のために、このようなホームページを読んだだけで、岩内をわかった気にならず、ご自信の足で取材をして下さいね。

役場のMさん、Tさん。取材の話を私にすぐに振るのは勘弁してください。税金減額してくれるなら、考えます。

6月です ランニングの風景

仕事を終えてからのランニングは6時を回ってから。一回りして帰ってくるのは7時30分を過ぎています。最初は明るい青空も、だんだんと紺色に変わっていきます。家に帰る頃は真っ暗のちょっと手前。日が長くなってきていますね。

ランラングコースにある田んぼは苗を植え終えたところが半分。残りの半分はまだです。山は残雪がいろいろな模様を浮き出し、各地で動物に見えるなどといった話題が出るのがこの季節の特徴でしょう。一応、北のお魚大使としては、その残雪が何かの魚に見えないかなと無理やり想像のですが、なかなか難しい。しいて言えばチセヌプリの残雪はタツノオトシゴかなぁ?なんて。

日曜日の投稿でパノラマラインがまだ開通していないと書きましたが、昨日から開通したようです。6月になってようやくですから、待ちわびた人も多いことでしょう。でも、交通事情は、私の言葉は信用しないで、ちゃんとしたところから情報をとった上で行動してくださいね。

山の方を走っていると、カッコウの声が響いて聞こえます。その他にも変わった鳥の声が聞こえますが、「北の鳥大使」ではないので、わかりません。(そんなのないです)。日が沈むとまだまだ肌寒いのですが、虫が少し出てきたり、雑草がめきめき生えたり、着実に夏に向かって生きている生命を感じます。

コースの最後は第一中学校の上のほうから海を見ながら下りてくるのですが、今日は残念ながら日没の夕日は見ることが出来ませんでした。でも、これからの季節はこの海に沈む夕日と漁火を見ることができるのが、楽しみでもあります。

こんな風景は、学生時代は当たり前のように見えて、何も思わなかったのです。しかし、10年ほどの都会暮らしの後に見たこの風景は素直にきれいだと感じます。そして、目の前で見ることが出来るありがたさを感じています。

でも、はぁはぁと言いながら一人で走ってくる人がいたら、私は不審者と思われる存在なのでしょうか? 

刀掛岩

義経と弁慶にまつわるお話は、ご存知でしょうか?

岩内の西に位置する雷電海岸。ここにご覧のような奇岩である刀掛岩があります。

義経と弁慶が、平家との戦いで北海道まで逃れ、この刀掛岩まで来て安堵して刀を置いたとの昔話。ここで、アイヌの女性と義経は中睦まじくなり、ひっそりと暮らした。いや、ジンギスカンとなって大陸へ。など、いろんな噂やロマンをかきたてるドラマが、一人歩きしたような。

どうも、私はこの手の歴史に疎いもので、今の話が正確かどうか、義経伝説の研究をされている方が読まれたら、ご立腹されるかもです。

31日に隣町まで所用で雷電海岸を通って行きました。しばらくこの道は来ていなかったのですが、天気がよく、久しぶりに見る景色にうっとりしました。

昔、よく本州から取引先のお客様が来ると、現社長は雷電海岸の方へ車で案内し、この義経伝説を延々とお客様にお話しておりました。私が小学生の頃でしょうか、車に乗るのが好きだったので、よくお客様を乗せる車に乗ってついて行きました。

お客様はそれを聞いて楽しかったかどうかわかりませんが、私は「また始まったぞ」という感覚で聞いておりました。いつしか、社長の義経伝説は、私の頭の中にインプットされました。

今はその雷電海岸の温泉街は寂れてしまいました。でも、風景はよく、この海岸に落ちる夕日を見ながら義経伝説を思い、男女の仲がいい雰囲気に・・・・ 後はご想像にお任せを~。

ちなみに、お客様を連れて車の運転をしていたのは、社長夫人。現社長は車の免許を持っていないのです。昔懐かしい40年前の一コマです。

北のお魚大使表彰式

北海道食品産業協議会という組織が、「北のお魚大使」「北のチーズ大使」の認定試験を行っています。このブログの私のニックネームを北のお魚大使とさせていただくのは、他のみなさんに失礼かもしれませんが、ご容赦ください。

去る5月21日に札幌後楽園ホテルにおいて、今年の合格者の称号授与式が行われました。北のお魚大使は今年11人受験し、たった一人しか合格しませんでした。その合格者は、わが町岩内町の役場職員の釜谷さんです。おめでとう!現在、地場産業サポートセンターの技師ですが、昨年私が合格したのに刺激を受け、今年のチャレンジとなりました。受講する前にもらう教科書を何度も読んで勉強したようです。

今現在の北のお魚大使は12人だけです。岩内町はその中に2人もいるのですから、さすが漁港の町(ちょっと言い過ぎ)。来年もこの北のお魚大使に岩内町からチャレンジする人がいます。もしも合格したら、どんなことができるでしょう。

称号をいただいたのは、私自身のためでもありますが、お魚の知識をたくさんの人に伝えたい気持ちが強いです。子供に地元で獲れたお魚を食べてもらう、地元で加工されたものを食べてもらう。ごく当たり前のことができなくなっている現在、微力ながらも「北のお魚大使」は何かできるのでは?一人よりも、二人。二人よりも三人で行動すればなんとかなるのでは。

写真は今回の称号授与式に参加された、北のお魚大使と今年の北のチーズ大使の合格者。講義を受け持った、それぞれの先生。今年の「北のお魚大使」の釜谷さんはなぜか不在。かわいそうに。事務局からの連絡が遅くて、当日変更できない予定を入れてしまっていたようです。がっかりしてましたよ。

がっかりしているということは、それなりの努力をしたからです。一生懸命勉強したから、合格したらうれしいですね。ちょっとしか勉強しなかったなら、そんなもんか程度の感覚です。「受験」ということから遠ざかったこの年齢になっての合格は確かにうれしいものです。

さて、北のお魚大使。できることから始めましょう。私はこのブログで少しでも北海道のお魚に興味を持ってもらえるような書き方をしましょう。じゃ、なんでマラソンの話が出るのさ? 魚だって、マグロ筋、ヒラメ筋ってあるでしょ。 強引なこじつけに今後もお付き合いを。

晴天の北海道

土曜日はとても寒かったです。ストーブに火をつけた人も何人もいると思います。

本日の日曜日は朝からすっきりするような青空。ここまで雲がなくて、青い空が大きく広がっているのは、都会に住んでいる人たちには、やっぱり北海道だよなと感じるかもしれませんね。

先週の洞爺湖マラソン、来週の千歳JAL国際マラソンの谷間の日曜日。34kを走ってきました。気温は15度で、私としては走るのにちょうどいい気温。風も少しあって、走る場所や向きによってはきもちよく肌に吹きかかります。

写真はランニング途中、共和町の山の方から、岩内岳(右)、目国内岳(左)を撮ったものです。携帯カメラなので、遠近感が違っているのでご了承ください。まだ雪がありますね。例年よりも雪融けが遅いことはご存知でしょう。観光にとってはちょっと困ったことが。

岩内町とニセコ町を結ぶ、道道岩内洞爺線。通称「ニセコパノラマライン」が全線開通しておりません。残雪が多く、峠の途中で雪崩の危険があるために、通行止めにしているようです。この道から見える景色がすばらしく、観光客はニセコを回って岩内に流れてくるのですが、開通していないと人の流れが少なくなってしまいます。観光客は、お寿司屋さんや、お土産屋さんに入ってくれますし、いろんな経済効果があります。

近日中には開通するとは思いますが、ドライヴを楽しむ皆さん、パノラマラインだけが岩内のいいところではございません。じっくり岩内を堪能しにいらしてください。

バイクで来る人も増えてきました。共和町のチーズ工場にある駐車場では、ライダーたちが愛車を並べて眺めながらバイク談義をしている姿が。ランニング仲間は、自分のランニングシューズを脱いで、並べてランニング談義をする人はいるのかな~?このランニングブームなら、どこかにいるでしょうね。

私はせいぜい走り終わった後にシューズの減り具合を見て、あとどれくらい持つかな?小遣いも少なくなったことだしなぁ~~。

大浜公園

岩内町は昔、人口密度日本一の時期がありました。今の敷島内地区が島野村だったときの話です。

北海道の町が人口密度日本一?なんて信じらないかもしれませんが、実際そんなときがあったようです。

それほど、密集していたのでしょうか。昭和29年の大火が大きな被害をもたらしたのは、そんな密集だったことも一つの理由かもしれませんね。

その大火の後は、区画整備で、町のあちこちに公園を作りました。岩内町に来ると、こんな公園がたくさんあるのは、その大火を意識して、避難場所やらを考えたことによるものでしょうか。

さて、この写真、地元の方は大浜公園だということをお分かりですね。私達が子供の頃は、夕方になるとたくさんの子供たちが集まって野球をしたりしていました。ですから、声をかけなくても2チームが出来たほどです。

ところが今は子供の数が少なくて、ここで野球をやっている姿を見るのはまれです。実際にこの雑草の生え方を見ていただくと、いかに子供たちがここで走り回っていないかがわかるでしょう。私達が子供の頃は少なくとも内野の面積は土が出ていました。今はバックネットもなくなり、近所の方たちの花壇になっています。

岩内に来たら、こんな公園めぐりなんて、かなりの「岩内通」の観光ですよ。冬に来ると、除雪の雪山に変わっています。

こんな広い公園で子供たちの笑い声が響くのが聞きたいなぁ。PSPなどのゲームより、天気のいい日は公園で遊ぼうよ、ご近所の子供たち!

あいさつは気持ち

ランニングをしているとき、この田舎ではあまり人に会いません。もっとも、私がそんなコースを選ぶせいもありますが。

でも、たまに人に会うと、「こんにちわ」と言ってご挨拶したりします。そんなときはちゃんと返事をしてくれますし、次回に同じ人に会うと、その方から挨拶をしてくれたりします。これは気持ちがいいものですね。

会社ではちゃんと挨拶が出来ているでしょうか?

社会人として、挨拶が出来て当たり前。工場見学に来る小学生はとても大きな声で、しっかりあいさつをしてくれるのですが、少し年齢が加わると、ちゃんと挨拶が出来なくなってしまうのは残念ですね。

私がこの会社に入ったのが今から19年前。そのときはこの工場で働く人たちは挨拶があまり出来ていませんでした。でも、こちらから大きな声ですると、いつしか皆も挨拶をしてくれるようになりました。今では工場見学に入るお客様にもちゃんとしてくれています。

普通、帰るときは「お先に失礼します~」と言って帰りますよね。でも、一八の女工さんたちは「さようなら」と言って帰ります。最初に聞いたときはその言葉を訂正しようかとも思いましたが、ふと考えるとこれでいいじゃないかと思うようになりました。挨拶は気持ちから出るものです。「お先に・・」の感覚よりも、今日一日働くのが終って、専務とさよならだわと思っての言葉なのですから、いい挨拶ではないですか。

工場で働く若い男性は3人います。彼らはたまに私に「ご苦労様です」といいます。普通、目上の人にこの言葉は使わないのが礼儀だというのは、お分かりですよね。正しくは「お疲れ様です」。ところが、この業界の方はよく使うのです。いや、北海道の人は良く使うのかな。さえぎるように、この言葉はと解説すると、挨拶が苦手な彼らにしてみると萎縮してしまいます。何も言えないよりは、使い方がちょっと違っても言ってくれることが私は嬉しく感じます。

ということで、心から今日もあなたに会えて嬉しいわ、と思える挨拶をして下さいね。ランニングしている私を見かけたら、どんな言葉でもいいので、声をかけてください。その一言が、私を速くするのです。

札幌での会合

札幌のホテルで、東京の市場に魚や水産加工品を送っている、通称「荷主」と、市場で荷物を受け取って販売する通称「荷受」の会合が札幌でありました。

以前は札幌と東京と半々くらいでやっていたのですが、ここ数年は札幌で行っています。全道各地から荷主が40人程度集まり、荷受側も30人ほどが一堂に会しました。

いうなれば親睦会ですが、時代の流れを感じざるを得ません。この会合にはこの十数年間、私が出席していますが、現社長が出席していた時は、熱海の温泉街でやっていたりしたようです。それも、参加者は今の倍以上は集まっていたようです。

浴衣を着て座布団の上に座っての宴会。どんどん少なくなっていますね。これだもの、温泉街が寂しくなったところが多いわけだ。北海道の温泉街も朝食、夕食までバイキング形式にして、価格を抑えるなどといった形が増えています。

時代の流れとともに、市場の役割もどんどん変化しています。魚の流通という意味ではなくてはならぬ存在ではありますが、問題も山積みです。

時代に逆らって頑固にいるのも一つの形かもしれませんが、柔軟な考え方をして、それを行動に移すこともしなければいけないことも現実。

頑張ってね。大都魚類で働くみなさん。

一緒にお酒を交わしたみなさん、ありがとうございました。

マスのトバ

弊社の季節限定商品に『マスのトバ』というものがあります。

青ますを尾の部分でつなぎ合わせ3枚卸にしたものを、調味に漬込み、干した乾製品です。前回もお伝えしたように、青ますの漁獲そのものが少ないために、加工原料にはほとんどなりません。でも、ほんの少しだけ、熱烈なユーザーのために作ります。

写真は、5月18日に載せた写真の青ますで作った「マスのトバ」です。たった38袋しかできなかったのですが、店頭に出す前に女工さんに販売したら、その場ですべて完売。ありがとうございました。次は?まだあるんでしょ?との問いに、海に聞いてくれぇ~としか言えません。でも、やっぱりこんなに人気があるのなら、原料確保は何とかしようと思ってしまいます。

さて、このマスのトバは別名「アダッチ」または「アダチ」という呼び名をする人がいます。言っている人に、「どんな字?」と聞いてもわからないそうです。アイヌ語かな~? どなたかわかる人がいらしたらこの北のお魚大使に教えてください。

ところで、サケ、マスは赤身魚ではなく、白身魚だと言うことは、魚好きのみなさんなら知っていますよね。アスタキサンチンというカロチノイド色素で赤色に見えるのです。ではなんでその色素を持つのか?餌となるエビのちっちゃくしたような、オキアミを食べるから。じゃなんでオキアミはその色素をもっているのか?・・・勘弁してください。 小学生にわかるように説明できる方、教えてください。

洞爺湖マラソン

天気がよく、気温もまずまず。年々参加者が多くなってきていますね。

今まではいつも一人で参加していたので、温泉に入ってもアルコールは飲めずに帰ってきていました。

今回は、10kの部に同業者、メタボのお腹の○郎さん、組合の○尾さんが走るので、帰りは○尾さんの奥様の運転に甘えて、温泉上がりでたっぷり飲ませていただきました。

写真は、参加賞のTシャツです。毎年違う色なのですが、我家ではもっとシンプルがいいとの評価です。まぁ、これに関しては好みがあるから、いろいろですよね。ちなみに、このモデルは私ではありません。

私はフルに参加。いつも16k付近で、私設エイドを作ってくれている家族の皆さん、ありがとうございました。毎年車椅子で応援してくれていたおばぁちゃんは、今年は入院中とのこと。「おばぁちゃんによろしくね!」の声かけに、家族の方は、快く返事をしていただきました。感謝です。

もう一ついいお話。サンタの格好をしたランナーは、片手にプレゼント袋を持っていました。沿道の応援してくれている子供に、わざわざその袋からプレゼントを取り出して、その子に渡しているのです。これはすごいことです。その方には思わず声をかけさせていただいて、私にはまねが出来ない、すばらしいことですね、とだけしかいうことができませんでした。

ただ走るだけでなく、そんな気遣いをしながら走っている人、ボランティアで一生懸命給水してくれた皆さん、沿道の応援してくれた皆さん、その他裏方でいろいろと手伝ってくれた皆さん、ありがとうございました。そんな人達の上に成り立っているマラソン大会。その中で走ることが出来て本当に嬉しく思います。

笑い話としては、30k付近で、口にカメムシが飛び込んできました。入った瞬間、あの臭い匂いが口いっぱいに立ち込め、思わず吐き出しました。でも、あの匂いは残っている。次の給水ではうがいだなと思っていたら、水をごくんと飲んでしまいました。

もう一つ。氷砂糖を出してくれた高校生。ありがとう。手に取ったら、5個くらいありました。1個あれば充分だよなと思いつつ、握って走っていたら、どんどん融けて手の中がベタベタに。さすがに耐えられなくなって、側溝にポイさせてもらいました。ごめんね。

今回の私の記録は3時間25分。30kからは一人も抜かされずにビルドアップで走ることが出来たのが、今回の収穫ですね。

思い出せば、6年前、初めてのフルマラソンの参加が、この洞爺湖マラソン。そのときは、前半気持ちよくてハイペース。25キロ付近でガス欠状態で歩いて、30kからは右左にふらつくように歩いてゴールにたどり着きました。「ガス欠だな」と話しながら抜いていく人。あの屈辱感は今でも忘れません。フルマラソンを走る人はこんな経験を一度はしていると思います。

何はともあれ、無事に走り終えて、アルコールも入って気持ちよくなって、後はしっかり寝て、明日の仕事を頑張りましょう。