『八興会館』 その6

 八興会館に集まった子供たちは、熱心な先生たちの元でどんどんと強くなったと聞きます。いろいろな大会にも参加しては賞をとり、またそれが励みとなって練習する。

 当時の共和村(現共和町)などからも有段者が来て指導を協力してくれたとも言われています。また、警察に勤務する有段者も。どんなスポーツでもそうですが、上手な人が目の前にいれば、その人のようになりたいとも思うでしょうし、技を真似てみたり、存在そのものがよきお手本となりますね。

 ついぞやは、紀伊右エ門の出生の地である佐渡にまで子供たちを連れていき、親善試合を行ったこともありました。そんな人ですから、子供たちには“館長さん”と呼ばれ、慕われていたと思います。

 ただ身内にとって残念ながら、紀伊右エ門の八興会館に対する思いは伝わっていませんでした。世に名を残す人の影には必ず、その人を支えた人たちがいます。子供ながらにもそんな周りの人たちの苦労を目にしていました。孫である私にとっては、八興会館に行けば、「館長さんの孫」と呼ばれることに抵抗感を覚え、近寄るとよく思わない子もいたことも確かです。

 私は、八興会館に足を踏み入れなかった孫です。この八興会館について書く資格はないのかもしれません。八興会館が取り壊された今、祖父である紀伊右エ門に対し、私が唯一できることは、八興会館のことを文字として記録しておくことであるのではないかと思い、綴っています。

 写真は、弊社事務所2階から出てきたものです。柔道を習っている子供たちが真冬に雪の上をはだしで走っているんです。見ているだけで冷たい。でも、子供たちの顔がとても生き生きしていますね。 

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 その1 

 その2

 その3

 その4

 その5

岩内町から銭湯がなくなりました

 道新後志版に出ていましたが、岩内町内で最後の銭湯だった小松湯が、平成24年3月31日をもって営業を終了しました。昔、岩内に住んでいた方にご説明するならば、荒井大学堂さんの向かい、ショッピングプラザ・ヤダさんのとなりと言えばいいでしょうか。

 新聞によると、小松湯ができたのは、1939年(昭和14年)。50年~60年台は、岩内町には10軒以上の銭湯が存在していたようです。よくここまで頑張って商売を続けてくれたなぁという感じです。

 銭湯の減少は、家庭にお風呂ができたこと、後継者不足、人口減少、燃料費の高騰。いろいろな理由があってのことでしょうが、時代の流れというものでしょうね。

 ただ、岩内の場合は、円山の温泉を銭湯代わりにしている方も結構いるんです。車で毎日温泉に入りに行くのですから、ちょっと贅沢に感じるかもしれませんが、それまた岩内らしいのかもしれません。

ハッカクは八角形?

 ハッカクというお魚をご存じですか?正式和名は、“トクビレ”。漢字で書くと、“特鰭”。雄は背びれと尻びれがうちわのように大きくなることから、そう呼ばれています。こちらの地方では、ハッカクという呼び名が主流で、魚体の横断面が八角形をしているからだと思います。

 お刺身が美味しいんです。透き通った白い色をしていて、お醤油に身をつけると、お醤油皿に脂が残り、脂がたっぷりあることがわかります。でも、生で食べる時は、アニサキスという虫にお気を付けください。

 小樽の居酒屋などでは、塩焼きでメニューに載っているのを何度か見たことがありますが、どちらが主流かはわかりませんので、お召し上がりになりたい方は、飲食店にお問い合わせください。

 このハッカクの顔と姿は、タツノオトシゴを横にしたように見えませんか?触ると、ゴツゴツでトゲトゲしていますが、よく見ると、なんとも愛嬌がある顔をしています。漁獲量が少ないために、ちょっと割高なお値段ですが、おススメのお魚です。

3月28日付(2012年)の道新に北海道マラソン特集

 こんなに早くに北海道マラソンの特集記事を載せるなんて、今まではなかったのに、ずいぶんと気合が入っているなぁ~と感じながら読みました。

 ロゴマークが新しくなったこと。定員が昨年の9,200人から11,000人になったこと。スタートが9時に早まったことによって、今までの代表選考レースから市民マラソンへ衣替えをする記念すべき大会だと書かれてあります。

 北海道マラソン参加者の4割は道外からとのことで、スポーツ観光と位置付ければ、その経済効果はかなりのものになりますね。そういえば、3年ほど前の大会で、岩内出身で埼玉在住の友人がランニングの友人を連れて北海道マラソンに参加しました。前日、いっしょに食事をして、お土産もたんまりと買っていましたものね。2泊と飛行機代、お土産代などかなりのお金が落ちたわけですから、たしかに経済効果はすごい。

 でも、制限4時間の時代を知っている人にとっては、大会が肥大化することに抵抗もあることでしょう。私はもちろんその気持ちもありますし、多くの人に楽しんでもらいたいという気持ちもあります。それよりも、申し込みから漏れてしまうことのほうが不安です。

 どんな大会になったとしても、私は走らせてもらっている立場ですから、わがままは言いません。でも、願いがあります。北海道マラソンは、日本で一番素晴らしい大会だと言われたいのです。それは、コース、景色、応援、ボランティア、運営、などすべてにおいて「日本のマラソン大会の理想」と言われるように。なにより、ランナーのマナーが一番だと言われたいです。ねぇ、みなさん、そんな大会になるよう、努力しませんか?

にしんみそのマフィン チーズ風味

 以前、このブログで札幌(石狩市)にある藤女子大学に研究をお願いした事を書きましたが、論文となって私の手元に届きました。その論文をここで紹介すると、堅苦しくなってしまうので、その中に紹介されている、にしんのおかげを使ったレシピを3回に分けてご紹介いたします。

 その1回目は「にしんみそのマフィン チーズ風味」。なんと、にしんのおかげがスイーツに利用されたんですね。にしんのおかげを18(いっぱち)g利用するというのが何とも偶然でしょうか?

【材料:4人分(1人分)】

  • 薄力粉         100g(25g)
  • ベーキングパウダー   4g(1g)
  • 無塩バター       20g(5g)
  • 牛乳          130g(32.5g)
  • ピザ用チーズ      30g(7.5g)
  • みりん          20g(5g)
  • にしんのおかげ     18g(4.5g)
  • 白いりごま       10g(2.5g)
  • てんさい糖        4g(1g)

【作り方】 *オープンは190℃に予熱しておく。

  1. 薄力粉とベーキングパウダーは合わせてふるう。
  2. 別のボウルに溶かし、バター、牛乳、みりん、にしんのおかげ、てんさい糖を入れて混ぜる。
  3. 2にチーズ白いりごまを加えて混ぜる。
  4. 3に1を加えてさっくりと混ぜる。
  5. 4~6等分にして耐熱性のカップに入れ、オープンで25分~30分焼く。

【応用例】 蒸し器で10分~15分蒸すと、また違う食感を楽しめます。

藤女子大学紀要,第49号,第Ⅱ部:45-49.平成24年 より

昭和10年代の一八

 また凄い写真が出てきました。推定昭和15年~25年のものと思われます。一八興業水産株式会社の前身、一八紀伊商店時代です。

 二つに並んでいる工場には、右側から読んで、「協力一致」「生産増強」と書かれてあります。従業員はたくさんいますね。写真には写っていないけれど、もっと従業員がいたそうです。それも18歳などの若い子が多かったとのこと。今とは雲泥の差です。

 この頃は、軍需工場だったらしいです。と言っても、武器を作るのではなく、政府からの指令による、とろろ昆布製造とのこと。看板には、「横須賀、呉東商店指定工場」と書かれてあります。

 写真で気になったのですが、屋根の上の丸いものは煙突かな?と現社長に聞くと、水がめで、火事になったらこの水を使って消火するためのものらしいです。今でいうスプリンクラーなのですね。

 社長の記憶では、この写真を撮った時代の後、二つの工場をつなげるように大きな屋根が付けられたそうです。今の建物でいえば3階建てのような大きさになったのですね。ですから、遠くから見ると、この工場はひときは目立った大きさだったと。

 昭和29年の大火によってこの建物は全焼。手前は鉄道の線路です。その場所から推測すると、大火後に道路拡幅のために、協力一致と書かれた工場の半分くらいの土地は、没収されたようです。

 大火によって全部焼けてしまったのに、なぜこの写真が出てきたのでしょう?焼けなかったところに住んでいた人が、この写真は一八が持っているべきだと先代に渡してくれたようですが、確証はありません。

 郷土館もびっくりの写真。写っている方のほとんどは亡くなっていると思います。もしも、これは私だと記憶にある方がいらしたら、ご一報ください。

稲穂峠にゆずり車線ができました

 岩内と余市の間には稲穂峠がありまして、女性ドライバーは冬はこの峠を越えるのが怖いから、車で遠出しないと言う方も結構いらっしゃいます。

 その稲穂峠は近年、登坂車線などの工事が行われています。この冬、岩内側のまだ傾斜が緩い直線の登り車線を1車線から2車線にし、ゆずり車線というのができました。さらに、センターにガードレールが設置されました。

 昔は冬に道路工事なんてしなかったのに、今はするんですね。雇用の関係でしょうか。工事中、待ち時間が5分以上ある事も。ようやく工事が終わって、先日走るととても快適でした。

 でも、やっぱりみなさん左に寄らないんですよね。みんな自分は速く走っているから右を走るんだと書いてあるような走りです。これからは観光シーズンでもあります。北海道の運転マナーは悪いとよく言われますが、観光地でもあるのですから、そんな事にも気を使いたいですね。もちろん、私も含めてです。

粗大ごみ処理券にも、たら丸がいます

 季節の変わり目、転勤、異動のシーズンですね。引っ越しの時にいらなくなったものを粗大ゴミで出されている様子が、ちらほらと見受けられるようになりました。

 岩内町でゴミを出すときは、指定されたゴミ袋を購入し、決められた日に出します。もしもこのブログをお読みになっている方が、岩内に引っ越されてくる方、来る予定の方でしたら、岩内町のホームページにゴミの出し方について書かれているので、そちらをご覧ください。

 粗大ごみはシールを買って、ゴミに張り付けます。写真でもお分かりのように、ここにもたら丸がいるんですね。たら丸ファン、たら丸コレクターの皆さま、岩内に住みたくなったでしょ。

 実は、ゴミ収集車にもたら丸のイラストが描かれてあるんです。写真ではご紹介しませんので、ぜひ岩内へ来てゴミ収集車のたら丸君を見つけてください。

 転勤や進学、そのほかの理由で岩内を離れる方、寂しくなりますが、岩内での思い出を大切にしてください。そしてたまにはこのブログを見て岩内を思い出してください。

3月の積雪

 3月26日月曜日の朝、積雪で外は真っ白になっていました。雪解けが進んで、自転車で通勤していた女工さんも、この雪では自転車は使えず。

 3月中旬から、雪融けのスピードにストップがかかったような天気、気温が続いています。修了式で春休みを迎える子供たちの姿も、まだまだ冬仕様です。こんな調子で、入学式までに歩道の雪は消えるのだろうかと心配になります。

 子供の頃、11月の朝の寒い日、曇りガラスごしに白く見えると、「もしかして雪かな?」とワクワクしながら外を見て、真っ白な雪が夜中のうちに降り積もったのを見て喜んだ記憶があります。

 26日の朝はそんな気持ちとは逆で、「えっ、もしかして雪?いい加減よしてよ」とがっかりモード。子供の頃の季節の変わり目を楽しむ気持ちがあれば、人生もっと楽しくなるのにね。湿った雪だから、雪だるまでも作ればよかったと無理にでも思う事にしよう!

『八興会館』 その5

 八興会館が一番素晴らしかったのは、紀伊右エ門が私費で建設をしたことではありません。紀伊右エ門の志に賛同した人が人を呼び、金銭とは無縁の関係で組織されていったことにあると私は思います。

 道場ができて、そこで教える先生は、ボランティアでした。また子供たちからは月謝なるものは取らなかったと聞いています。各地で大会があると、紀伊右エ門が無償で連れていく。八興会館で行われる大会の景品は一八がスポンサー。純粋に子供たちが剣道柔道に打ち込める環境を作っていたのですね。

 先生方は日中の仕事でお疲れなのにもかかわらず、熱心に指導してくれたとだれしもが口をそろえて言います。その熱心さが子供たちの稽古にかける気持ちを引き出していたのではないでしょうか。すべてがお金で動く現代とは明らかに違う、“人を育てる”場所であったと思います。

 管理人の大泉さんから教えていただいた、気弱な小学生のお母さんの言葉を紹介します。「人より早く来て、道場の隅をずっと板ふきをする。人のしていない事をして、心が強くなってほしい」

 指導された先生、協力していただいた父母のみなさん、改めて申し上げます。八興会館を支えてくださり、ありがとうございました。写真は昭和58年7月10日、岩内中央小学校で開催された、岩内八興会館二十周年記念剣道大会です。

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