20分間の昼寝

 日常においていつもしている事、しなければ何か落ち着かないとか、体調がおかしくなるなんて事はありませんか?

 私は、今の仕事をするようになってから、ほぼ毎日昼寝をしています。昼食をとった後に、15分~20分だけソファーで横になって昼寝をします。目を暗くするアイマスク(写真)を付けて寝ますが、横になってまず1分もかからずに熟睡状態です。

 休日は昼寝をしないのですが、体は正直で、その時間帯になると眠くなります。出張などで昼寝しない環境にある時も、その時間帯は体が重く感じられます。

 昼寝から起きて、さぁ行くぞとリフレッシュ。でも、寝ている最中に電話や宅配などの訪問で起こされると、午後はちょっと機嫌が悪くなります。ですから、12時25分から45分の間は、私をそっとしておいてね。

いわないスキー場の経営母体の変化

 今月の日曜日は、いわないスキー場の変化について、書かせていただいております。先週までは、リフトとコースの変化について書きました。今日は、経営母体のお話について。私自身、直接携わっていませんので、詳しく知っているMさんの情報をもとに書きます。

 1980年のオープン時、スキー場の経営は、株式会社グランドレジャーという本州の会社でした。その会社が1987年撤退。

 1988年、1989年は岩内町が200万の出資金で株式会社観光開発いわないという会社を設立。次の民間会社に来てもらうまで、つなぎ運営をしました。

 1989年より、株式会社ウエストバレーが運営。塚本産業という会社が出資し、1990年クワッドリフトの建設で、入りこみ客数12万5千人のピークとなりました。スキー場名は「ニセコウエストバレーいわない国際スキー場」

 1998年株式会社ウエストバレーが撤退。同年クイーンズランド株式会社運営開始。

 2001年クイーンズランド株式会社撤退表明。クワッド、第4・5・6リフト停止。

 2002年 岩内町地域振興協会 設立、運営開始。 「ニセコいわない国際スキー場」と名前を変え、この年からセンターリフト(ペアリフト)のみとなりました。

 3つの民間企業がかかわった事になりますが、塚本産業は不動産会社、クイーンズランドはホテルゴルフ場経営などが主で、スキーレジャーのプロとは言い難かった様です。

 確かな情報ではありませんが、クワッドリフトの定期点検に数百万がかかり、その費用支出を岩内町に求めたクイーンズランド。それを拒否されたために撤退したらしいと。大きな設備をもつという事は、それだけ維持費がかかります。私たちの仕事でも一緒ですよね。

 いわないスキー場はめまぐるしく経営母体が変化していきました。このスキー場で育った子供たちは、今は子供を連れて滑りに来ています。私は、円山(観音山)のロープ塔で育ったスキーヤーです。年が明けたら、また違う側面から岩内のスキー事情をお話させてください。

 写真は12月23日オープンのスキー場、ロッジ前です。ちょっとのぞきに行ってみたら、ものすごい風でリフトは動かなかったようです。

T-1グランプリ2011北海道ブロック優勝は、「サラダ風ニシン漬」

 最近、いろんなコンテストがありますが、私が先日参加して入賞した調味料選手権も、こんなのあったの?なんてコンテストですね。

 新聞などでT-1グランプリ2011なんて言葉を目にしました。Tってなんぞやと思いしや、「漬物」だったのですね。地方のブロックを勝ち進んで、1月15日に東京タワー特設会場で、決勝戦を行うとのことです。

 さて、北海道ブロックの優勝は、小平町の近江春枝さんが作った「サラダ風ニシン漬」でした。小平町のホームページ(下の写真)でも紹介されています。そこでは、最後に「小平町を挙げて応援しましょう!」と書かれてあります。何をおっしゃいますか、北海道を上げて応援しますよ。

 北海道を代表する漬物って、やっぱりニシン漬はなくてはならないものですよね。古くからあるものって、なかなかスタイルを変える事ができないものです。しかし、近江さんは、旦那様が酸味のあるごろごろした大きな漬物が苦手なので、ニシンなどの素材を細かく切って、漬けてから1日~3日で食べられるようにしたというもの。

 とても素敵な話題ですね。嫌いだから、出さないのではなく、おいしく食べてもらう工夫をしていることに、とても奥さまの愛情を感じられます。さらに、受賞の喜びを「主人のおかげです」なんてコメントするのですから、なんと謙虚な人でしょう。

 我が家ですか?・・・・・・早起きしてくれる事は感謝しています…………………

年内の配送は27日受付までです

 今年もたくさんの皆さまに、一八の商品をご贈答としてお買い上げいただきまして、ありがとうございます。弊社事務所でも、毎日あわただしく発送業務、ご来店のお客様に対応をさせていただいております。

 ただ、一部の商品で、在庫切れになってしまうこともあり、ご迷惑をおかけしております事をお詫び申し上げます。

 毎年、駆け込みでご注文をいただく事があります。天候の影響などによっては、交通機関に影響が出て、年内の配送が間に合わない事もあります。ご注文は余裕をもってお早目にお願いいたします。

 ということで、本州各地へ年内にお届けするには、12月27日までにご注文をお願いいたします。色々買いこんで、皆さまの冷蔵庫がパンパンになっているのでしょうか。冷蔵庫にスペースができましたら、また一八の商品をその空いた部分に納めていただけると、嬉しいです。今年最後ご注文、お買い上げをよろしくお願いいたします。

12月22日冬至です

 今日、12月22日は冬至です。各地で冬至にまつわるいろいろなニュースが流れる事と思います。

 弊社の女工さんが仕事を始めるのは7時45分から。朝は日が昇っているのですが、終業の16時50分には、もう真っ暗。一日を一生懸命に働いた女工さんたちが工場を出る姿も、晩御飯の献立を考えながらでしょうか、ちょっとそわそわした感じです。

 工場で働く男性は、女工さんが来る前に来て、仕事の段取りをします。ただ、ここ数日は、雪がたっぷりとあるので、除雪をしてから始めます。その時、まだ暗いのです。うっすらと東の空が明るんで来て、街灯も消えます。

 冬至を境に、また日が長くなるのですが、冬はこれからが本番。寒さはどんどん厳しくなります。すぐクリスマス寒波が来て、大荒れになるとの予報も出ています。

 折り返し地点って、いいですよね。ようやくここまで来たかと思う時と、よし、ここからだと思う時。どちらにせよ、気持ちの節目になります。写真は冬至のイメージではないですが、嵐の前の静けさといった感じの21日の市場から撮った岩内岳です。

流雪溝に排雪

 岩内町の商店街を冬に歩くと、道路の端っこに雪を落としている風景が見られます。雪国では、下水道のような雪を流す仕組みを作って、排雪をするところが増えていると思います。

 岩内の場合、海水をポンプで吸い上げ、町の主要な道路と商店街に回します。勢いよく流れる海水が、雪を融かしながら運んでいくのです。ただし、地区によっては、利用できる時間帯が違います。全町で一斉に使ったら、詰まって水があふれ出るなんてことになるからです。

 弊社の前の道路にはこの流雪溝がないので利用はしていませんが、流雪溝が前にあるからと言って、皆が皆利用しているようには見えません。除雪、排雪というは、マナーをどのように考えるかで変わってきます。

 商店街も、空き店舗が増えていますので、その部分だけが除雪がされていなくて、歩きにくいなんてこともあります。きっと、岩内だけではない話なのでしょう。でも、この流雪溝、すごい仕組みですよね。何か観光に役立てる事はできないかな?

昭和38年の会社所有のトラック

 懐かしい?会社のトラックの写真が出てきました。日付が昭和38年9月11日となっていますので、私よりも、1歳年下です。私の記憶では、定かではありませんが、ずいぶん乗り心地が悪かったような。

 まだ街中はアスファルトではなく、ほとんどが砂利道でした。走っている車は乗用車は少なく、若い人にはわからないでしょうが、3輪車のトラックがありました。故障なんてしょっちゅう。エアコンなんてとんでもない。そんな時代でした。

 その頃、町にはまだ荷物を運ぶのに、馬がいたのです。夏は荷台に車輪をつけて。冬はソリになって引いていました。弊社の近くにも馬を飼っていて、運搬作業をしていたところがあったのを覚えています。

 さて写真のトラック。ドアには広告。文字は前から書くために右から左へ読む形。でも、電話番号の数字は、左から右へという変な書き方です。「自家用」と書いてありますが、昔は表示義務があったようです。カッコ悪いですよね。

 このトラックが納車のときは、たぶん一大イベントだった事でしょうね。価格はわかりませんが、その分の働きは間違いなくしてくれた事と思います。この次の年に東京オリンピック。時代は高度経済成長へ。車社会へと急激に変化していきました。

 

雪捨場が動き出しました

 写真は、岩内の地場産業サポートセンター裏手にある、町の雪捨て場です。ここには、町道から排雪された雪を積んだダンプカーや一般の事業所などから雪を積んだトラックがやって、雪を降ろします。

 ここには、常時キャタピラーをつけたブルドーザーが待機していて、降ろされた雪を上手に踏み固めながら山を作っていきます。まだシーズンが始まったばかりなので、雪山にはなっていませんが、ドカ雪が降るとダンプカーは途切れなくやって来るので、どんどん雪山は大きくなっていきます。

 後ろは海です。まだ海が見えますが、なぜ海に直接捨てないのか?と思いますよね。白い雪も融けるとかなり汚れています。ゴミも結構紛れているので、もしも海に雪を捨てるとシーズンが終わると、かなりのゴミが海の中にあるという状況になります。

 雪捨て場も、どこでもいい訳ではなく、雪が融けるとその排水によって、近隣に迷惑を及ぼさないかなどを考えられます。よって、海のすぐ近くの広い土地が選ばれると思います。専門家のみなさん、この考え方でいいのですよね?

 雪国の皆さんにとっては、当たり前の話題で申し訳ありません。この除雪、排雪ということは、雪国にとって経済的に非常に重要な位置を占めています。子供にとっても、ばあちゃんの家の雪かきをすることによって、お駄賃をもらえるのですから・・・

いわないスキー場のリフトの変遷

 先週日曜日は1980年にいわないスキー場がオープンし、西側3本、東側3本のリフトが設置されたところまでお話しました。

 実は、私は1980年から1991年夏まで岩内には在住しておらず、実際の詳しいスキー場の状況がわかりません。人伝えによる情報で書きますので、もしも間違った情報だと思う方がいらっしゃいましたら、教えていただければ何よりです。

 西側3本のリフトとそのコースは、1988年に運休となり、再利用されることなく終わりました。1989年(平成元年)に「ニセコいわない国際スキー場」と名称が変わりました。新たに現在唯一営業をしている、第一ペアリフトができました。

 翌1990年4人乗りフード付きの高速クワッドリフトが新設されました。このクワッドリフトの登場は、寒さと戦いながら長いリフトに乗っていた苦痛から解放され、利用者は喜びました。

 1991年には、アルペンスキーの王者ステンマルクが来町し、スキー場と5年間の専属契約を結んだそうです。どれくらいかかったのでしょうね?また、1992年FIS公認コースになり、公式大会が行われるなどの盛り上がりもありました。

 しかし、1990年の利用客12万5千人をピークに、スキー場の利用者は減少が続きました。理由はバブルの崩壊、子供の減少、スキー離れなど他のスキー場が衰退していく理由と同じことがあげられると思います。

 そして、2001年に民間資本が撤退し、クワッドリフト及び第4・5・6リフトの営業が中止し、第一ペアリフト1本だけの営業となりました。

 はい、今週もここまでです。スキーをする人間として、本当はいろいろとコメントしたいことがあるのですが、おいおいと。

平成23年岩内町の10大ニュース

 12月16日の北海道新聞後志版に、岩内町の今年の10大ニュースが出ていました。一般公募の集められた31通から、町長や商工会議所会頭などの審査員が決めたと書かれてあります。それによると、

①震災で通行止め・支援の輪広がる
②上岡町長3選
③日本アスパラガスが道省エネ大賞
④19年ぶり新造船3隻
⑤岩城前町長が逝去
⑥町人口1万5千人割る
⑦厚生園建替え着工
⑧岩高祭で25年ぶり山車パレード
⑨竹久夢二の美人画発見
⑩銀座通り親交会が道の「行ってみたい商店街」準大賞

 となっています。このブログでも、取り上げた話題が載っていますね。個人的には、第一中学校野球部が全国大会に行った事、弊社の「にしんのおかげ」が、北海道加工食品フェアで優秀賞をとった事。全国調味料選手権で、入賞した事を入れたいと思います。

 水産関係の話題が、新造船のお話だけでしたね。浜で大漁だったとか、話題をさそうニュースがなかったのは、残念です。

 それにしても、一般公募をして、31通しか応募がなかったというのは、残念ですね。公募という以上、それなりの広報活動をするか、公募ではなく、各種団体から提出していただく等のほうがいいと思いますが、いかがでしょう。

 私からの提言です。お役人さんたちは、過去にやっているから、今年も同じようにするという考え方を変えましょう。数年やって、効果がなければ、続けるほうがいいのか、やめるか、変えるかを考えてほしいです。前任者が・・・・なんていい訳しないでね。